僕の父は生前、近所のデイサービスに何度か通ったことがありました。
「何度か」というのは、たった3・4回で行くのをやめてしまったのです。
父は、ヘルパーさんの訪問を受けながら一人暮らしをしていました。
おおよそ、生活全般のことは自分でまかなっていました。
だから、デイサービスに行くのは、介護する家族を休ませるためではなく、行っても行かなくても別に誰も困らない、という状態でした。
気が向いたら行く、というスタンスだったのです。
※デイサービスとは、日帰りで短時間介護を受けられる施設のサービスです。
サラリーマンだった父は、仕事一筋の人生でした。
だから、仕事を引退したことと母(妻)を先に失くしたことで、生活に張りを失っていました。
近所の散歩も次第に行かなくなり、知人と会う機会も減っていき、一日中家にいて、テレビばかり見るようになっていきました。
そんな父を見て、
「少しでも人と触れる機会を持ったほうがいいです」
ケアマネージャーが、そうアドバイスしてくれました。
当然、僕も賛成でした。
その一環が、デイサービスだったというわけです。
デイサービスでは、お昼ごはんを食べて、マッサージを受けて帰ってくる。
それだけの利用でした。
はじめは、「マッサージが気持ちいい」と、そこそこ気に入った風に言っていたのですが、3・4回で行くのをやめてしまいました。
なぜやめてしまったのか?
本人は、はっきりとした理由を言いませんでしたが、そのデイサービスに下見や契約で行ったことがあり、そして父の性格を知る僕には、やめた理由が想像できました。
※今回は、介護施設などの話題に触れますが、介護する方、される方、介護業務に携わる方に対して、決めつけた見解や一方的な批判をするものではないことを、予めお断りしておきます。
亡くなる前年の父
年寄り扱いされたくないから
「年寄り扱いされたくないから」
それが、父がデイサービス通いをやめた理由だったと思います。
でも、これは矛盾していますよね (^-^:)
だって、歳をとって施設でお世話になれば、心身ともに高齢者として扱ってもらう。
だから、食事も入浴も運動も、高齢者としてのケアを受けられる。
そこに集まる人は高齢者だし、そこに行った父も高齢者です。
年寄り扱いされるのは、あたりまえですよね。
でも、父の性格を考えてみると、おそらくその状況が耐えられなかったのだと思います。
確かに自分は引退した(仕事は退職し、社会的なつながりも少なくなった)。
でも、だからといって、あからさまに無力な老人のように扱われたくはない。
言い換えると、「一人前の人として扱われなくなるのはいやだ」そう感じたのだと思います。
(その施設で一人前に扱われなかった、という意味ではありません。父の受け止め方の想像です)
亡くなる前年の父
父は、生活の意欲は失ったけど、そうしたプライドは高かったのかもしれません。
でも、施設には、プライド以前にもっとお世話の必要な方が、介助を受けにやって来ます。
そうした人に比べて、父にはまだ好き嫌いを言う余裕があったということです。
父はそれから約3年後に、他界しました。
肺の疾患のためです。
父は、認知症が始まっていて、父と僕は激しくぶつかったことが何度もありましたが、今となっては、僕がもっと理解ある態度で接しられなかったものか、と思うばかりです。
父が亡くなってから5年が経ち、そのころの思い出は、ものすごいスピードでどんどん遠ざかっていきます。
亡くなる前年の父
日本一不親切な介護施設
ところで、おそらく父が感じたことと似たものと思われる「介護施設の空気」を書いた本がありました。
「思考のリミッターをはずす非常識力」
~日本一不親切な介護施設に行列ができる理由~
二神雅一(ふたがみ まさかず)という人の著書です。
二神氏とは、岡山県を中心に70を超える事業所を展開して、介護ビジネスを運営する人です。
僕は、タイトルにひかれてこの本を読んだのですが、この二神氏が日本でおそらく初めて「不親切な介護施設」を設立したというお話です。
「不親切な介護施設」
これは一体何なんでしょう?
もしかして・・・
利用者に対して、ものすごい失礼をはたらくのでしょうか?
(昨今では冗談になりませんね )
想像を超えた、法外な料金を取るのでしょうか?
スタッフの人たちに、全く一般常識がないのでしょうか?
いずれの予想も違いました。
「不親切」というのは、次のようなことでした。
- 車椅子に乗っている人から、車椅子を取り上げる(車椅子に座らせない)。
- 施設には、わざと手すりをつけない。
- 施設に段差や坂道を設けて、「バリアフリー」ではなく「バリアありー」にする。
- 高齢の要介護者の人に農作業をさせる(そのための土地を持っているそうです)。
「不親切」とは、こういったことです。
今では、こうした方針を取り入れる施設も各地で増えているようですが、二神氏が始めたころは他になかったそうです。
photoAC
これらの「不親切」。
当時は、介護施設の常識から言うとまさに「非常識」な、ケアマネージャーが聞いて卒倒しそうな内容、だったそうです。
なぜなら、介護施設の常識では、利用者は安全に丁寧に扱われるであろうからです。
一般に、介護施設の「常識」は次のようなことのようです。
- 利用者(高齢者)に無理がかからないように、施設は全てバリアフリーにして
- 利用者の安静・安泰を保ち
- 負荷のかからないレクリエーションやごく軽い運動をする
- スタッフは親切で気を配ったお世話をする
※実際に、バリアフリーにしないと、施設を運営する許可が下りないそうです。
バリアフリーが人を弱らせる
しかし、二神氏はこう説きます。
一度車椅子のクセがついた人は、自分の力で歩けなくなってしまう。
なぜなら、車椅子に乗っている間に、歩くのに必要な足腰の筋肉がどんどん弱っていくから。
最後には、本当に歩けなくなってしまうのだ。
今や常識である施設のバリアフリーも、その環境に慣れてしまうとバリアのある実生活に適応できなくなってしまう。
転倒の危険性も高まってくる。
そして、外界の環境に適応できなくなり、家に閉じこもるようになる。
孫に会いに行くにも、知人に会うにも、どこに行ってもバリアはあるからだ。
バリアを避けることで活動が低下して、機能低下、寝たきり、そして認知症になる危険性が著しく高まるという。
閉ざされた環境にこもる事で、心の元気も失われていく。
つまり
「バリアフリーが人を弱らせる」
ということです。
誤解なきよう補足しますが、もちろん歩けない人は車椅子を使うでしょうし、段差を超えられない人は、バリアフリーの範囲で生活するでしょう。
そこから無理やり環境を変える、車椅子を奪う、という意味ではありません。
利用者の状態を見ながら、十分に危険を回避して行なうことです。
言いたいのは、施設の安全で何不自由ない環境に浸りきると、それまでできていたことができなくなってしまう危険がある、ということです。
そして、一般の介護施設はそれを助長する傾向にある、ということです。
実際に、二神氏の施設でも、歩けない人をお世話することはしないそうです。
最低限、車椅子なしでいられる人を対象としているそうです。
非常識力で道を切り開く
二神氏は、裸一貫で介護事業を立ち上げました。
そして、「リハビリ付きデイサービス」を始めました。
当時、周りにはそのような施設はなく、彼の施設は常識を覆すものでした。
どういうことかというと・・・
その当時のデイサービスは、食事とお風呂を提供して、余った時間に歌を歌ったり子供がするようなお遊戯をしたり、という内容だったそうです。
心身機能を回復するようなプログラムは、なかったとのこと。
部屋の飾りつけも、幼児向けの折り紙などで作られ、まるで保育園や幼稚園のようだったといいます。
だから、特に男性の高齢者たちは「幼児が行くような所には行きたくない」と言う人が多かったそうです。
しかしそれでも、彼らはデイサービスに行きました。
その理由は、次のようなことでした。
「家にいると家族に迷惑をかける」
「家には自分の居場所がない」
「他に行ける場所がない」
こうして、仕方なく、デイサービスに来ていた人たちが多かったそうです。
胸が詰まりますね。
無いなら作ればいい
「リハビリ特化型デイサービス」を始める前、もともと二神氏は「リハビリ訪問」という業務をしていました。
高齢者のお宅に伺って、リハビリをするサービスです。
これを続けていると、高齢者の人は心身ともに機能が回復して、外に出られるようになりました。
ところが、外に出るようになって一般のデイサービスに行くようになると、なぜか心身の機能が低下してきてしまうのです。
その理由は、前述の通り、デイサービスに行くと、心身の機能回復よりおとなしくて害のない、お遊戯や手遊び、カラオケなどのレクリエーションばかりしていたためです。
せっかく回復した機能が、また失われている。
これはいけない!
何とかしなくてはならない!
考えたあげく、二神氏は、周囲では前例のない「リハビリ特化型デイサービス」を作る決心をしたのです。
利用者が宣伝をしてくれた
前例がない施設でした。
最初は資金繰りも苦しく、理解を得られるのにも時間がかかりましたが、徐々に支持を得ていったそうです。
一番良い反応があったのは、「幼児が行くような所には行きたくない」と言っていた男性の高齢者たちだったそうです。
彼らが、「リハビリ特化型デイサービス」を認めて、通いに来たのです。
そして、彼ら利用者たちが、病院や知人に宣伝をしてこのサービスを広めてくれたそうです。
お茶はご自分でどうぞ
その後、二神氏には、失敗もあり、紆余曲折もあり、会社が潰れそうになったこともあったようです。
しかし、壁にぶつかったとき、二神氏が常に考えたのは
「何のためにやるのか」
ということでした。
事業ですから、もちろん倒産してはいけません。
当然、事業を継続するためにできることをやるのですが
やはり、根本の軸は
「利用者のためにやる」
ということでした。
「利用者の心身の機能を、低下させてはいけない」
「利用者が自立していくために、力添えをしなければならない」
「一般の施設に不足しているサービスを、提供しなければならない」
そうしたことです。
だから、例えば「お茶をくれんかね」と利用者の人が言ってきたら、「お茶はそこにありますよ。ご自分でできますよね」そう言って本人にやってもらう。
それが、利用者の機能を回復することにつながり、自立することにつながるからです。
「デイサービスなのにサービスを受けられないのか!」
利用者によっては、こうして激怒する人もいたようですが、そういうときには施設の方針やそうする理由をよく説明して、理解してもらうそうです。
利用者の人が理解しなければ、リハビリは成立しないからです。
こうして事業は成功し、拡張を続けて、現在70以上の事業所を運営するに至ったのです。
その後、二神氏の施設の評判を聞いて、こうした方針を導入するところが、他の施設にも出てきたようです。
非常識力とは常識を打ち破る力
「必要なのに無いものは、作ればいい」
「大事なのは、何のためにやるのかだ」
二神氏こうして、時には非常識な発想で目的を実現してきました。
しかし彼は言います。
「非常識力」とは「常識が無い」ということではありません。
常識は必要なことです。
人に対する深い気配りも、当然必要です。
(彼は以前、スタッフに対する接し方を失敗して、多くの人材を失った経験があります)
「非常識力」とは、常識を無視することではなく、壁やピンチにぶつかったときに、それまでの思考のリミッターをはずして
「常識を打ち破る力を発揮する」
という意味です。
「これは、介護事業だけではなく、どんな分野にも通用する考え方だと思います」
彼はそう語ります。
多くの苦労や試行錯誤を経てつかんできた、二神氏の理念。
我々のビジネスのエッセンスとしても、見習いたいものですね。
ではまた次回!
(二神雅一氏の施設のことは「思考のリミッターをはずす非常識力 ~日本一不親切な介護施設に行列ができる理由~」より抜粋・引用 調整しています)
当記事は「わかるWeb」のメールマガジンの記事を投稿しています。
「わかるWeb」のメールマガジンは好評配信中です!!
いつでも自由に解除できますので、一度是非登録してみてください!
こちらからどうぞ!
「わかるWeb」メルマガ登録
この記事が面白かった場合には、スターやブックマークをお願いします!
大変な励みになります!