少年は、1週間ほとんど寝ずに歩いた。
山に向かう線路に沿って、ひたすら歩いた。
空腹になると、山柿を取って食べた。
疲れ果てたら、線路のわきで何かにもたれて眠った。
学生服に通学カバンを下げ、大きなスコップを持って、歩き続けた。
家には絶対に戻らない。
そう決めていた。
親にも誰にも見つからないほど、遠い所に行くんだ。
もしつかまって家に連れ戻されたら、怒鳴りつけられ、殴られ、血が出るまで棒で叩かれる。
家に戻るぐらいなら、死んだ方がましだ。
このまま線路伝いに北へ進めば、足尾銅山に通じるはずだ。
小学校で習ったことがある。
今は廃坑になっていて、ほとんど人がいないらしい。
そこまで行けば、きっと誰にも見つからないはずだ。
時は昭和34年(1959年)。
所は群馬県の国鉄足尾線(現:わたらせ渓谷線)。
少年は13歳、中学1年生だった。
家を出て2日目、疲労と眠気で頭が朦朧としているとき、遠くから犬の声が聞こえた。
ん?どうも聞き覚えのある声だ・・・
振り返ると、白い犬が走って来る。
家で飼っていたシロだった。
「シロ!」
いったいどうやってここまで来たんだ?
俺の匂いを嗅いできたのか?
太いロープでつながれていたのに、まさか噛みちぎってきたのか?
家では、俺に一番なついていたシロ。
そのシロが、こんなに遠くまで俺を追いかけてきてくれた。
「シロ!俺とお前はいつも一緒だ!」
泣きながら、少年はシロと一緒に暮らそうと決めた。
●「洞窟オジさん」と呼ばれた男
この少年は、加村 一馬(かむら かずま)さん。
終戦後の昭和21年(1946年)、群馬県みどり市大間々町で、8人きょうだいの4男として生まれました。
13歳で家を飛び出し、57歳で発見されるまでの43年間、彼は人間社会を避け、人里離れた山の洞窟などで生き抜いてきました。
2004年に、彼の人生を描いた「洞窟オジさん」(小学館)がベストセラーとなり、NHKでドラマ化もされました。
いったいなぜ、彼は一人ぼっちで、自然の中で生きてきたのでしょうか。
その原点は、子供時代にありました。
彼の子供時代は、虐待やいじめの連続でした・・・
●加村家の日々
麦、粟、ひえなどに、さつま芋を入れて炊いたものが、一膳。
それが夕食です。
お代わりはありません。
だから、加村少年は、家でお腹一杯ご飯を食べたことはありませんでした。
彼の父は、農家の手伝いやかやぶき屋根の修繕などの、便利屋のような仕事をしていました。
母も、近所の繊維工場で働いていました。
しかし、共働きでも、8人の子供のいる加村家は、満足に食事ができないほど困窮していました。
終戦直後の貧しい農村地帯。
その中でも、特に貧しい家でした。
加村少年はいつも空腹で、ついつい、つまみ食いをしてしまいます。
きょうだいのおかずをつまみ、父が干しておいたマムシをつまみ、食べてしまいます。
見つかると父に激怒され、殴られ、体から血が出るほど棒で叩かれました。
同じように、母も許してはくれませんでした。
週に2回はつまみ食いがバレて、酷いお仕置きをされる。
その繰り返しでした。
強烈なのは、墓地の墓石に縛り付けられたことです。
photoAC
夜中に、ロープで墓石にグルグル巻きに縛り付けられ、雨の日でも風の日でも、そのまま朝まで放置されたのです。
泣いても叫んでも、親は助けに来てくれません。
ようやく朝になって許してもらい、縄をとかれるのです。
体は冷え切って麻痺し、雪の夜には頭に雪が積もったそうです。
子供が親に殴られるのは珍しくない時代だった当時、それでも加村家では、今なら事件になるであろうほどの折檻があったのです。
どうして自分ばかりが叱られるのか?
彼には全くわからず、そして納得がいきませんでした。
風呂は、週1回。
学校では「臭い」「汚い」と、友達から仲間外れにされました。
しかし、彼はへこたれませんでした。
馬鹿にされるのが悔しくて、大人数に向かって棒切れを持ってかかっていきました。
でも、体格的にも人数でも引けを取る彼は、やられてしまいます。
彼は、いつも血だらけになっていました。
こうして、学校にも家にも居場所がなかった彼は、ある朝、ついに家出を思い立ったのです。
親もきょうだいもいないときを、見計らいました。
学生かばんに、詰め込めるだけの食料と調味料を詰め、マッチやナイフ、そして大きなスコップを持ち出しました。
「二度と戻るもんか!」
そう決心して、彼は飛び出したのです。
●洞窟の暮らし
線路を歩き続けた加村少年とシロは、ついに足尾銅山に到着しました。
「シロ!ここだ。やっと着いたよ!」
銅山の採掘跡の洞窟が、たくさんありました。
彼らは、さらに奥地に入り、人目につかないとある鉱山跡の洞窟を住居に決めました。
加村少年は、住居を整えました。
入口から数メートルのところに寝床を作り、風や獣の侵入を防ぐために杭を立て、木や枯草で「戸」を作りました。
鉈で材料を切り、藤のつるで縛って作りました。
火床を作り、夜は、野生動物の侵入を防ぐのと暖をとるために、火を絶やしませんでした。
彼は、13歳です。
なぜここまでのサバイバル力があったのでしょうか。
それは他でもない、彼を折檻していた父のマネをしたのでした。
●少年の生命力
山菜やキノコの取り方、ヘビの食べ方、カブトムシの幼虫の食べ方。
それらは、父の行動を見て覚えました。
飢えをしのぐため、山にあるものは何でも捕り、火を通し、食べました。
虫、カタツムリ、ネズミ、コウモリ、鳥、ヘビ、カエル、ウサギ、イノシシ! 鹿!!
毒キノコ以外は、何でも食べたと言います。
何でも食べないと、生きていけないのです。
味付けは、家から持ち出した塩と醤油でした。
飲み水の確保は、白樺の木にナイフで穴をあけてその下に竹筒を置き、溜めました。
彼の獲物の捕まえ方は、卓越していました。
鳥は、木の枝で作った罠で捕まえました。
ウサギは、2つの穴から出入りしているのを発見して、片方からY字の枝を突っ込んで動けなくしておいて、もう片方の穴から捕まえました。
イノシシの捕獲は、命がけでした。
4メートル四方の穴を掘り、中に先を尖らせた3本の竹やりを立てて、自分がおとりになってイノシシを誘い出しました。
突進してくるイノシシから逃げるふりをして、罠の上を飛び越えます。
イノシシは、そのまま穴の中に落ちるという寸法です。
獣の肉をさばくのも、慣れたものでした。
内臓をとり、食べる肉と衣服や靴になる皮などを切り出して、余った肉は干して保存食にしました。
こうして加村少年とシロは、野山を駆け回り、獲物をとって暮らしました。
それは、彼にとって、とても楽しい時代でした
●シロの看病
あるとき、彼は熱を出しました。
風邪なのか、体がだるくクラクラして起き上がれません。
どうにか川まで行き、布を濡らして額に当てて冷やしました。
しかし、ついに動けなくなり、バッタリと倒れてしまいました。
もはや、寝て休むしかありません。
すると、シロが額の布をくわえて洞窟の奥へ走っていきました。
何をしているのか。
シロは、濡れた布をくわえて戻ってきました。
どこかで、布を冷水に浸してきたのです。
こんなことがあるのでしょうか?
地面を引きずってきたので、布は泥だらけです。
シロは、何度も布を冷水に浸しては、戻ってきました。
驚くほど利口で、心優しい犬だったようです。
そして、加村少年のことが好きだったのでしょう。
ところが、そんな毎日に、突然終わりが来ました。
●親友との別れ
ある日、シロがやけに甘えてきました。
クーンクーンと、まとわりついてきます。
どうも元気がなく、力がない様子です。
「シロ、大丈夫か?どうしたんだ?」
心配して撫でてやり、干し肉をあげますが、食べようとしません。
加村少年は、ずっとシロを撫でてあげました。
翌朝、シロは冷たくなっていました。
突然の、思いもよらない出来事でした。
シロが死んでしまった?
なぜ?
彼は、とても信じられませんでした。
彼は三日三晩、シロをそのまま寝かせておきました。
何も食べずに、シロのそばにいました。
シロはただ寝ているだけで、起きるのではないかと思いたかったのです。
でも、シロの目が開くことはありませんでした。
彼の泣き声が、洞窟の中にいつまでも響いていました。
彼はシロを抱いて山を巡り、一面ピンク色の蘭が咲いている場所に埋めました。
でも、もう一度会いたくなり、土を掘り起こしてシロを抱きしめました。
体は硬くなっています。
そしてまた、土をかけて埋めました。
彼は、たった一人の親友であり家族を、失ったのです。
●はじめてのご馳走
その後加村さんは、あちこちの山を移動して、狩猟や採集で命をつなぎました。
20代のころには、早くも頭に白いものが混じり始めていました。
道沿いや駐車場で、人のまねをして、山で採った山菜や花を売ってお金を稼いだこともありました。
何万円と稼いだこともあります。
親切な夫婦との交流もありました。
あるとき、夫婦に山で声をかけられておにぎりをもらい、付き合いが始まったのです。
夫婦の家の仕事を手伝い、生まれて初めてお金をもらいました。
さらには、家に招かれて泊まらせてもらいました。
生まれて初めての豪華な食事・・・温かい白米と味噌汁、焼いた肉、野菜のおひたし。
白米は、自分の家では食べたことがありませんでした。
数年ぶりの入浴。
初めての、石鹸の匂いがするきれいな布団・・・
全てが、驚きと感動の連続でした。
夫婦の前で、泣きながら食べました。
泣きながら入浴しました。
夫婦の気持ちが嬉しくて、夜は一睡もできませんでした。
しかし彼は、いつまでも世話になってはいけない、自分がずっとここにいると夫婦に迷惑がかかる、と思うようになりました。
引き止められましたが、何度も夫婦に頭を下げて、山に戻りました。
●山にいても人の中にいても
それからも、一人きりの狩猟採集の暮らしが続きます。
彼の頭に、ふとこんな考えがよぎりました。
俺は何をしているんだろう。
何で生きているんだろう。
山にいれば獣に怯え、人の中にいれば人の目が気になってしまう。
毎日毎日、どうやって食べていくかを考えるばかり。
シロを失ってからというもの、話しかける相手も、遊ぶ相手もいない。
いつの間にか、笑うことも忘れてしまった・・・
俺には、生きる価値があるのだろうか?
これ以上生きていても、仕方ないんじゃないのか。
死にたい・・・
死んでしまおう・・・
彼は、首を吊る木を探し始めました。
そして、手ごろな木にツルをかけて首に巻き、踏み台をけってぶる下がりました。
しかし、首が締め付けられたとたん、吊っていた枝がボキっと折れ、彼は地面に落ちました。
「俺は死ぬこともできないのか!」
ゲホゲホと苦しく咳こみ、泣き叫びました。
●樹海での恐怖
「富士山まで行くから、ふもとの樹海に入れば死ねるよ」
とあるトラックの運転手は、死ねる場所を尋ねてきた加村さんに、気軽にそう答えました。
死にたいなんて、まさか冗談だと思ったのでしょう。
そして、トラックで富士山の近くまで乗せて行ってもらい、教えられた道を進んで樹海に入りました。
どれほどさまよったでしょうか。
ふと木の上を見ると、ロープが下がっています。
地面には、女もののハンドバッグや靴、ボロボロになった服があり、そのそばに骨が散乱していました。
木の陰に、頭蓋骨が転がっていました。
木に髪の毛が引っかかっていて、風に揺れています。
彼は、足がすくんで動けませんでした。
死ぬとこんな風になるのか。
いったいこの人が、どんな辛い思いをしたのだろう。
楽になろうとしてここに来たのか。
でも今は、体がバラバラになっている。
悲しくて、かわいそうで、彼は涙が止まりませんでした。
さらに何度かの夜をこえ、また遺体を見つけました。
ジャンパーを着たままの、首を吊った男性。
亡くなってからまだ日が浅いようです、
凄惨な風景なのに、なぜか加村さんは目をそらせませんでした。
この人も、死ぬほどつらい目にあったのだろうか。
男性の首のロープを切り、静かに遺体を地面におろしました。
手を合わせ、また歩き始めました。
彼は、二つの遺体を見て、本当に死の恐怖を感じたそうです。
どんなに辛くても自殺なんかしちゃだめだ、と思いました。
●洞窟オジさん
彼が57歳の時、ついに彼を世間に知らしめる事件が起きました。
いや、彼自身が起こしたのです。
そのころ彼は、茨城県の小貝川(こかいがわ)で魚を釣って暮らしていたのですが、ある時期大雨で川の水が濁ってしまい、魚が獲れなくなってしまいました。
つまり、食糧がなくなったのです。
所持金は370円、食べつなぐことはできません。
その辺では顔を知られているため、スーパーのごみ箱を漁ることもできませんでした。
ふと彼は、近所の工場地帯の自動販売機のことを思い出しました。
photoAC
自動販売機の商品の補充作業を見たとき、小銭がたくさん入った箱があるのに気づいたのです。
良からぬ考えが、頭を占めました。
彼はバールを持って行き、自動販売機をこじ開けようとしました。
その時・・・
「コラー!」
警備員に見つかってしまい、力づくで取り押さえられ、警官に引き渡されました。
そして、警察の取り調べで、彼の43年間にわたるサバイバル生活が明らかにされました。
photoAC
驚いたのは、取り調べをしていた警察官だけではありません。
メディアが取り上げ、彼の存在が世に知られることとなったのです。
彼の人生を綴った書籍「洞窟オジさん」も出版され、 彼は注目を浴びました。
しかし彼は、やがて宿無しの生活に戻っていきました。
●子供たちに伝えたい
さらに後年後、彼はある自立支援施設の一角に住んでいました。
彼を心配する人が、彼が住めるところを探してくれたのです。
少しでも彼が馴染みやすいようにと、かつてシロと一緒に住んでいた足尾銅山の近くの施設を探してくれました。
その施設でも、やはり人間関係の摩擦があったり、紹介された現場作業の仕事先で嫌がらせにあったりもしました。
ただそれは、人間社会である限り避けられないものだったでしょう。
何度も嫌になって山に逃げようとしましたが、施設職員の助けもあり、何とか乗り越えました。
現在彼は、施設の建物を修繕する仕事を任され、そして、子供たちの野外活動で様々なサバイバル術を教えているそうです。
子供たちにサバイバル術を教える!
実は、彼がずっと考えてきたことでした。
「子供たちに生きる術を教えたい」という思いを、彼はいつからか抱いていたのです。
まさに、それが実現できる仕事でした。
photoAC
彼は、嬉しそうに言います。
「竹から弓矢を作って実際に矢を放つと、子どもたちの目つきが変わるんだ。
その表情を見るだけで、こっちがうれしくなる」
施設職員の女性は、彼についてこう語ります。
「彼は険しい目つきで人を寄せ付けない 、人間不信の塊みたいな人だった。
でも、施設での生活を通じて、ものすごく柔和な目に変わりました」
どうやら彼は、人の社会の中に居場所を見つけたようです。
しかし、そこまでの道のりは、決して楽なものではありませんでした。
●天国のシロへ
加村さんは語ります。
振り返ると、一番の思い出はシロと暮らした洞窟生活だった。
シロと一緒にイノシシやウサギを追いかけたことは、つい最近のことのようだ。
俺が強くなれたのは、勇敢なシロのおかげだった。
でも今は、様々な人の世話になって、心の温かさを感じて生きている。
人のためにも自分のためにも、一生懸命仕事をしてみるよ。
シロ、お前に会いに行くのは、しばらくお預けになりそうだ。
ではまた!
(当記事の内容の一部は、以下のページより引用・抜粋・ 加工しています。
「洞窟オジさん」(小学館)、上毛新聞社サイト)
当記事は「わかるWeb」のメールマガジンの記事を再編集して投稿しています。メルマガの ご登録はこちらから(いつでもすぐに解除できます)。
「わかるWeb」メルマガ登録
メルマガのバックナンバーはこちらです。
(2つのサイトにまたがっています)