年のころ、60歳前後であろうか。
男は、その中華料理屋に一人でやって来た。
中華丼や唐揚げを食べて、ビールと焼酎を飲んだ。
飲み終わると、彼は立ち上がり、突然ナイフを出した。
「おい」
店主を威嚇した。
レジの横の箱を奪い、中華料理屋を出た。
しかし、奪った箱の中に入っていたのは、売上伝票ばかりだった。
男は、近くの百貨店のトイレに駆け込み、バッグの中から刃物を出した。
そして、自分の腹に突き刺した。
腰に巻いたコルセットに、血が滲み出た。
彼は、気を失った。
体調が回復すると、男は、京都府警に逮捕された。
時は、2010年。
ここは、京都府の日本海沿いの小さな町。
取り調べをするうちに、彼の特殊な状況が明らかになってきた。
彼は、運転免許証など、身分を証明するものを何一つ持っていない。
それどころか、自分の名前も、確かな年齢もわからなかったのだ。
彼は、生まれてから20代後半までの間の記憶が、すっぽり抜けていた。
残っているのは、20代後半から現在までの30余年間の記憶だけ。
仮に彼が60歳だとすると、人生の前半の記憶がそっくり失われていた。
彼には、家族も知り合いもなかった。
30年以上の間、ひとり日本各地を転々として、工事現場の宿などで暮らしてきた。
かろうじて残っていた、子供のころの記憶。
彼のことを「哲ちゃん」と呼ぶ友だちがいた。
工事現場の手配師にその思い出のことを伝えると、それ以来、彼は「てつ」と呼ばれるようになった。
彼の、唯一の名前だった。
●人の記憶の始まり
人の記憶は、いつごろから始まるのでしょうか。
赤ちゃんのころのことは覚えていない、とよく言われます。
ドイツの心理学者トルステンによると、人の記憶が残るのは、早くて3歳のころからだそうです。
もちろん、個人差はあるでしょう。
また、ある時から急に記憶が発生するわけではなく、いろいろな経験を積んで、少しずつ記憶していくようです。
発育中の幼児の脳の中では、激しい変化が起こっているようです。
新しい脳細胞が加わると、記憶を読み出すスキームが新しいものに置き換えられてしまう。
そのため、古い方法でアクセスしていた記憶、つまり、それ以前の記憶は読み出せなくなってしまう、というのです。
例えるなら、パソコンOSの大きなアップデートによって、古いデータにアクセスできなくなる、というところでしょうか。
カナダの神経科学者フランクランドの研究です。
こうしたことから、幼児の脳では記憶が残りにくく、そして記憶が取り出しにくい、と考えられているようです。
一方、成人した後でも、何らかのきっかけで、突然記憶が記憶が失われることがあります。
中華料理屋で強盗をした「哲ちゃん」も、その一人です。
「哲ちゃん」は、なぜ強盗をしたのでしょうか。
●生きるための人脈
工事現場で働いてきた「哲ちゃん」は、ある懇意にしている手配師に、いつも仕事をあっせんしてもらっていました。
その手配師は、自分の名前も思い出せない「哲ちゃん」の代わりに、現場の手続きを「偽名」で済ませてくれていたのです。
30年もの間、彼は「哲ちゃん」の仕事を世話してくれていました。
ところが最近になって、その手配師が突然姿を消してしまったのです。
病気になったのか、仕事を辞めたのか、あるいは亡くなったのか、理由はわかりません。
とにかく「哲ちゃん」は、仕事が得られなくなりました。
他に頼る人もなく、「哲ちゃん」は日々の生活に困るようになりました。
食い詰め、やがて無銭飲食をし、強盗を働いたのです。
彼は、絶望していました。
そして、百貨店のトイレで自殺を図ったのです。
●破壊された記憶
警察の取調べ室で、彼は初めて「自分の過去」と向き合いました。
住民票も健康保険も持たず生きてきた彼には、自分を証明するものは何もありません。
指紋をとって前科者と照合しても、該当者は出てきません。
彼の身元を確かめるためには、彼自身が昔の記憶を取り戻すほかなかったのです。
「哲ちゃん」が記憶喪失になったきっかけは、26~27歳のころでした。
工事現場で、人生を左右する事故に遭ったのです。
数メートル上にクレーンで吊るされていた分厚い鉄板が、彼の上に落ちてきました。
鉄板は彼を直撃し、安全ヘルメットとともに彼の頭蓋骨を割りました。
左足を粉砕骨折し、内臓を損傷し、彼は記憶障害に陥りました。
それまでの記憶が、ほとんど失われてしまったのです。
取り調べで、彼はようやくある地名を思い出しました。
「かがわ」「たどつ」
香川県多度津町(たどつちょう)のことです。
彼は、その地に住んでいたのです。
彼の両親は、彼が幼いころに亡くなり、その後、漁業を営む親類の夫婦に育てられました。
捜査員は、彼の描いた地図を頼りに、多度津町付近を捜索しました。
多度津町に、まだ彼を知る者がいるかもしれない。
彼の身元が確認できるかもしれない。
しかし、手がかりは何も得られませんでした。
●「哲ちゃん」の心の中
本名が不明のまま、「哲ちゃん」という通り名で公判が進み、彼は実刑判決を受けました。
3年の刑期でした。
刑期を終えると、刑務官の勧めに従って、彼は「就籍」の手続きを行いました。
「就籍(しゅうせき)」とは、無籍者(戸籍のない人)が、届け出をして戸籍につくことです。
苗字は、自分で「津和野(つわの)」と決めました。
ある時期、彼が働いていたことがあった島根県津和野町。
その津和野町の城下町が好きで、その名に決めたのです。
事故に遭った27歳のころ、入院先の看護婦さんや会社の人たちは、彼の境遇を気の毒に思っていました。
しかし、彼自身はそう思ってはいなかったのです。
「俺はそういう人間なんだ」
ただ、そう思っていました。
記憶を失ってから30年以上の間、彼は行政に頼ることもなく、工事現場を渡り歩く人生を送ってきました。
そして現在、「津和野さん」は、京都市内のアパートで1人暮らしをしているそうです。
足が不自由で、心臓の持病を抱えている。
病院に行く以外は、ほとんど人と会う機会もない。
そんな状況であっても、彼は思ったそうです。
「普通の生活が、やっと持てたんじゃないかな」
彼の本当の素性は、誰にもわかりません。
彼自身にもです。
ただこの話を知ると、彼が、不器用ながらも実直で、ひたむきに生きてきた人であるらしいことを、感じずにはいられません。
本来、それ以上必要なものがあるのでしょうか?
●突然我に返った男
もうひとつ、突然の「始まり」を体験した人の話があります。
2016年。
Sさん(男性)は、激しい頭痛と吐き気を感じて、我に返りました。
そこは、公園でした。
しかし、どこの公園なのか、なぜ自分がそこにいるのか、わかりません。
いやそれどころか、自分が誰なのか、全くわからないのです。
自分の名前、年齢、住所、家族を、覚えていない。
ここに来るまでの一切の記憶がない。
自分を知る手掛かりになるものを、何も身につけていない。
激しい頭痛の中、何度か嘔吐して、やがて落ち着いてくると、
どうにか動けるようになりました。
近くにあった地図の看板に、東京都内の「A区」という表示がありました。
「ここは、A区なのか・・・」
Sさんは、地図にある区役所に行ってみました。
●自分が嘘をついているみたいだ
区役所で、Sさんは自分が記憶を失くしたことを伝えました。
非常に驚かれはしたものの、彼は生活相談の係に案内されました。
吐き気も収まったため、とにかく、まずどこかで落ち着きたい。
彼は、とある援助組織のシェルター(無料宿泊所)に泊まりました。
特定非営利活動法人SSSという、住まいや生活に困っている人を助ける組織の施設でした。
果たして、自分は事故に遭ったのだろうか?
何かの事件に巻き込まれでもしたのか?
photoAC
しかし、体に目立った傷はなく、事件らしき形跡もなく、大学病院の脳外科で精密検査を受けても異常は見つからない。
自分の顔写真を元に、警察に尋ね人や犯罪歴のある人と照合してもらったが、誰も該当しない。
あらゆる調査をしても、何も手がかりがないのです。
きっと、自分には親や身内がいるはずだ。
でも、その人たちは今どこにいて、何をしているのだろう。
自分のことを捜してはいないのだろうか?
調査のあらゆる質問に対して、Sさんは「わからない」としか答えられませんでした。
彼は、そのとき思いました。
「自分は本当のことを言っているのに、真実味がない」
「話せば話すほど、まるで自分が嘘をついているようだ」
そして、一種の罪悪感すら感じてきた、と言います。
「自分は何をしたらいいのか、何のために生きているのか、わからない」
Sさんは、強い無気力に襲われました。
●社会の一員になるということ
「もし警察に職務質問されたらどうしよう」
Sさんは、そうした不安にさいなまれる日々を送っていました。
とにかく、本人を証明するものがないと、社会生活は望めない。
彼は、施設の人とともに、法テラス(日本司法支援センター)へ行きました。
そして、戸籍につく手続きである「就籍」を申請したのです。
戸籍の内容はこうです。
自分の両親・・・不明。
氏名・・・自分で決めたもの。
誕生日・・・記憶を失ったことが分かった日。
年齢・・・自分のだいたいの見た目の年(30代前半)。
戸籍ができて、ようやく不安な気持ちから解放されました。
そのとき彼は、「人並みになれた」と感じたそうです。
Sさんは現在、清掃業のアルバイトをして、自力で生活しているそうです。
Sさんが一つだけ取り戻した記憶があります。
それは、神奈川県・江の島の花火大会の風景でした。
実際に江ノ島に行ったとき、その場所を覚えていたのです。
それからというもの、彼はあちこちに出向いて、以前の自分の手掛かりになるものを探しているそうです。
例えば、昔のマンガやテレビ番組などを見て、自分の記憶につながるものがないかどうか、調べているのです。
●自分を成り立たせる記憶
Sさんが今一番重要だと思うのは、「信じられる人を見つけられるかどうか」だそうです。
腹を割って話し合える相手がいるかどうか。
信頼し合える相手ができるかどうか。
にわかには信じてもらえないような体験をしたからこそ、心を打ち明けられる人との出会いを、強く望んでいるようです。
もし我々が、記憶を失い、名前を失い、そして身内や友人との関係を忘れてしまったら、いったいどうなるのでしょうか?
何を頼りに生きていくのか。
果たしてそこから、人生を始めることができるのか。
何をもって「自分」であると感じることができるのか。
これから、何のために生きるのか。
その不安や混乱は、容易には想像できません。
「津和野さん」や「Sさん」の境遇は、我々の意識が何によって支えられているのか、そのことに気付かせてくれるように思えます。
楽しい思い出も、つらい思い出も
たとえ思い出したくない過去があったとしても
それらは、自分の辿ってきた軌跡なのです。
「記憶」とは、我々が思う以上に
我々を形作り、
我々の足を地につけてくれているもの
なのかもしれませんね。
ではまた!
(当記事の内容の一部は、以下のページより引用・抜粋・ 加工しています。
朝日新聞デジタルサイト、特定非営利活動法人エス・エス・エスサイト、GIGAZINEサイト)
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