高速で空を飛び、弾丸を手でつかむ。
ヘリコプターを片手で持ち上げて、マシンガンの射撃にも、火炎放射器の炎にも、びくともしない。
その男の名は、誰もが知るヒーロー「スーパーマン」です。
1978年に、リチャード・ドナー監督の映画「スーパーマン」が公開され、大ヒットしました。
この作品は、それまでの古めかしいスーパーマンと違い、特殊効果やクレーン撮影によるリアルな飛行シーンや、スーパーマン自身の葛藤、ユーモアを取り入れた、奥行きのある娯楽大作でした。
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このとき、スーパーマンを演じたのは、当時24歳のアメリカ人俳優クリストファー・リーブ。
身長192cm、長身でハンサム。
知的で穏やかな雰囲気の、好青年です。
もともとスポーツマンである彼が、スーパーマン役を演じるにあたり、さらにがっしりとした体を作りあげました。
10週間の訓練で15キロの増量を成し遂げたそうです。
ちなみに、その訓練のコーチは「スター・ウォーズ」でダース・ベイダーのスーツアクターをやった大男、デヴィッド・プラウズでした。
「スーパーマン」の大ヒットで、クリストファー・リーブは一躍世界的な有名人となりました。
しかし、彼の実像は、あまり知られていないかもしれません。
例えば・・・
とにかく演劇が好きで、大変熱心な下積み時代を過ごしたこと。
両親の離婚の影響で、彼自身がなかなか結婚に踏み切れなかったこと。
セーリングや飛行まで楽しむ、アウトドア好きのスポーツマンだったこと。
そして、42歳のときに起こった事故が、彼の人生を根底から変えてしまったこと。
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4本にわたって続いた「スーパーマン」の映画シリーズも終わり、8年が経った1995年のある日。
彼は見知らぬ病院の集中治療室で目を覚ましました。
どうしてそこにいるのか、一切記憶がありません。
手足がベッドに固定され、喉に穴が開けられて人工呼吸装置がつけられています。
たくさんのチューブが、体中に付けられています。
そして、どういうわけか、首から下に全く感覚がありません。
いったい何が起きたのか。
自分はどうなってしまったのか。
家族や周囲の人の証言をつなぎ合わせてみると、どうやら次のようなことが起こったようです。
病院で目を覚ます数日前、リーブは、ある馬術競技に出場しました。
彼は、スポーツの中でも、特に乗馬が好きだったのです。
几帳面な彼は、競技前日によくコースを下見して、馬の体力・状態を整え、自分と馬との信頼関係もできていました。
競技が始まり、乗馬した彼は、いくつかの障害物を順調に越えて行きました。
ところが、ある障害物に近づいたとき、突如として馬が立ち止まったのです。
障害を飛び越そうと、かなりのスピードで近づいて、突然ブレーキをかけたのです。
このように、予測もなく馬が立ち止まるのは、落馬につながり非常に危険な動作であるため、その世界では「ダーティ・ストップ」と言われているそうです。
なぜ止まったのか、原因はわかりません。
ウサギが飛び出してきたのか、何かにおびえて止まってしまったのか。
ともかく、突如馬が止まったため、くつわや手綱など、馬の頭部に着けてあった馬具が全部いっせいに抜け落ちました。
そして騎手であるリーブも、勢い良く馬から落ちたのです。
身長192cm、体重96.7kgの巨体が、「頭から」真っ逆さまに落ちて、障害の横木に激突しました。
手に手綱が絡まって、頭より先に手を着くことができませんでした。
落ちた瞬間、彼の第一頸椎が粉々に砕けて、第二頸椎までが骨折しました。
ご存知のように、脊髄には、体を動かしたり維持したりする大切な神経が張り巡らされています。
そこが破壊されたのです。
※「第一頸椎」とは、椎骨(脊柱を構成する骨)のうち一番頭側にある骨
わずか数秒のうちに、全身が麻痺して、呼吸ができなくなりました。
救急隊が駆けつけたときには、呼吸が止まってから既に3分が経過していました。
呼吸マスクで空気を送り込み、隊員たちはなんとか彼を蘇生させました。
呼吸停止が4分続くと、脳の損傷が始まるのです。
命を失う寸前のところで、彼は助かりました。
しかし、脊髄損傷は非常に深刻なものでした。
彼は、「四肢麻痺」という状態に陥ってしまったのです。
「四肢麻痺」とは、頭部以外の両手足を含む全身が動かせない状態です。
感覚があるのは、首から上だけ。
首から下は、麻痺して動かすことも、何かを感じることもできません。
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この状態では、どんな生活になるのでしょうか。
まず、自力で「呼吸」ができません。
だから、喉を切開して人工呼吸器のチューブをつけます。
たまにこれが外れると、看護師さんが走ってきて付け直してくれるまで、呼吸ができないまま恐怖の中で待つことになります。
ずっと寝たきり状態なので、床ずれが起こらないように、3~4時間ごとに何人かがかりで体位を変えてもらう必要があります。
自力で、排尿・排便ができません。
排尿は、カテーテルを膀胱につなげて継続的に排出できるようにします。
排便は、介助員さんがこぶしで腹を押して腸を刺激し、便を移動させて、尻の下に敷いたビニールシートの上に排出させます。
排便の感覚も、それを自力で行なう力も、ないということです。
当然かもしれませんが、性衝動は起こりません。
脳と脊髄の間の連絡がうまくいかないため、体の反応がおかしくなります。
例えば、周りの人が暑過ぎてへばっていても、自分は寒くて仕方がなくヒーターをつけて毛布をたくさん掛けてくれと頼んだり、
燃えるように体が熱くなって目覚めても、周りの人は、何枚も上掛けを重ねて寝ています。
首から下は「痛覚」もないので、病気や怪我が察知できません。
危険信号である「痛み」を、認識することができないのです。
心臓と脳だけが、正常に動き続けています。
こうした毎日を送ることになります。
言うまでもなく、私たちの健康は、体中の実に多くの調整機能が正常に働いているために成り立っているということです。
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次第に自分の状況がわかってくると、リーブは恐怖と絶望に襲われます。
自分は、もう一生動くことも歩くこともできないのか。
まだ42歳だというのに、くだらないことをしたばかりに、人生が終わってしまった。
この先、みんなに迷惑をかけて、慈悲を請いながら生きるだけだ。
自分ばかりか、みんなの人生も無茶苦茶にしてしまった。
絶望や怒り、悲しみが、彼を襲います。
それは、決して終わることのない苦しみでした。
彼はついに、妻であるディナにこう言いました。
「このまま、死なせてもらったほうがいい」
この言葉を聞いて、ディナは泣きだしました。
しかし、彼女はこう言ったのです。
「これはあなたの人生だし、あなたが決めることだから、私はあなたの意思を尊重する」
「でも、これだけは知っていてほしい。私は何があっても、あなたのそばにいる」
「あなたは、あなたのままだもの」
この言葉に、リーブは命を救われたのです。
深い水の底に沈んだかのような、元スーパーマン、クリストファー・リーブ。
しかし、妻や子供たちに支えられ、多くの優れた医師たちや親友たちに助けられて、彼は次第に生きる意味を見つけていきます。
いや、見つけていくしかなかったのです。
Christopher & Dana Reeve Foundation - Facebook
クリストファー・リーブと妻のディナ
彼は知っていました。
脊髄の高度な手術も、病院の長期間の滞在も、自宅に帰ってからの看護体制の完備も、彼にその「財力」があったからこそ、実現できたのです。
経済的に、そのようなことが実現できない人には、大変に厳しい状況が待っています。
彼は、それを十分に理解していました。
だから自分にできることは何かと考えたとき、自分の知名度を活用して、麻痺や難病で苦む人の状況を少しでも改善することだと思いました。
もちろん、自分自身の治療・改善にも期待をかけてのことです。
彼は、車椅子で、アカデミー賞のゲストとして登場しました。
でも、登場するまでは、不安にさいなまれていました。
途中で、呼吸器が外れたりしないだろうか。
急に痙攣が起きて、観客の前で醜態をさらさないだろうか。
何かあったら、看護師さんはすぐに舞台にかけつけてくれるだろうか。
何度も悩んだ末の登場でした。
しかし実際には、彼の登場で、会場は喝采の嵐に包まれました。
誰もが、彼の登場を待ち望んでいたのです。
スピーチの冒頭で、リーブはこうジョークを飛ばして、会場を沸かせました。
「おそらく、どなたもご存じないでしょうが、実は私は、去年の9月にニューヨークを発って今朝ようやくここにたどり着いたのです。世界が注目するこのレセプションに間に合ったので、ほっとしています」
こうして、彼は車椅子に乗り、排尿カテーテルや人工呼吸器をつけたまま、麻痺や難病の治療の資金集めや働きかけのために、全国を奔走しました。
クリントン大統領に、医療機関の研究費の増額を申し出るアプローチもしました。
彼が、こうして絶望の淵から生還できた源は、医師や家族のほかに、病院にいた頃に出会った様々な麻痺患者の人たちの存在でした。
奥の部屋に入院していた14歳の男の子。
彼は、お兄ちゃんとのプロレスごっこの最中に背負い投げされて、頭から真っ逆さまに落ちた。
四肢が麻痺してしまい、今はかろうじて自主呼吸ができて話ができる程度だ。
ある青年は、大学1年のときホッケーの試合で手足の自由を失う重傷を負った。
ある青年は、17歳のときに交通事故に遭い胸から下が麻痺してしまった。
しかし、彼は多くのものを失いながらも必死に勉強を続けて、32歳でウォール・ストリートで職を得るにいたった。
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リーブは、こう考えるようになりました。
危険を顧みずに突進していく特別な存在ばかりが、ヒーローではない。
障害があっても、勇気を持ってそれに耐え、日々一生懸命生きている人。
こういう普通の人たちが、ヒーローなのだ。
そして、彼らを支えている家族や友人たちこそが、ヒーローなのだ。
そんな人たちのために、自分ができることをしようと思いました。
リーブは、自分の感情に苦しむばかりではなく、「人のために動く」という行為からエネルギーを得ていったのです。
脊髄損傷者の治療と医学研究の資金集めのために、彼は「クリストファー・リーブ財団」を設立しました。
全国各地で講演会をして、自分の体験を語り、難病に苦しむ人たちのための資金集めをしました。
集めた多大な資金は、専門の協会に寄付しました。
あの時はよかった、元気な昔に戻りたい。
そう思ったところで、それは実現できません。
彼は、苦しみながらも、過去への郷愁から視線をはがして、未来に目を向けたのです。
2004年10月、クリストファー・リーブは、自宅で心不全を起こして昏睡状態となり、亡くなりました。
52歳の生涯でした。
落馬事故があってから、10年後のことです。
空を飛ぶことはできなくなったが、不屈の精神とガッツで最後までスーパーマンそのものだった、クリストファー・リーブ氏。
その姿は、今でも映画の中に生き続けています。
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(クリストファー・リーブの実話およびストーリーは、本人の著書「STILL ME(邦題:車椅子のヒーロー)」より抜粋・引用 調整しています)
この記事には続編があります。こちらです↓
ではまた次回!
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