データの最終的な保存先はどこ?
あなたは、パソコンやスマートフォンのデータを、どのように保存していますか?
写真や動画、作成した書類などです。
パソコンなら、ドキュメントのフォルダなどに保存しますよね。
あるいは、外付けのハードディスクに入れるか、iCloudやGoogleドライブなどのクラウドサービスを利用するかもしれません。
長期に保存しようとすれば、この記事を公開する時点では、ハードディスクかDVD、ブルーレイディスクへの保存が、最終的な保存先になるでしょうか。
きっとこれらの媒体で、長い間保存されることになりますよね。
しかし・・・
時折、不安を抱きませんか?
このDVDって、何年ぐらい持つんだろう?
ある日中身を開こうとしたら、エラーになって、大事なデータが見られなくなることもあるんじゃないか?
最終的な保存先にしておいて、大丈夫だろうか。
そんなふうに思ったこと、一度はありますよね?
僕は実際に、最終保存先のCDやDVDが壊れてしまって、データが見られなくなったことが「何度も」ありました。
今存在するどんな記憶媒体にも、「寿命」があります。
ディスクにも、チップにも、テープにも。
それらはいつか壊れてしまい、情報が見れなくなってしまう時が来るでしょう。
情報を失うのを防ぐには、ときおり保存状態を確認したり、機器をメンテナンスしたり、保存先を変えていく必要があるでしょう。
そう考えると、結局、永遠に保存しておける媒体などないということでしょうか?
ディスクなどの寿命はどのぐらいあるの?
様々な記憶媒体の、おおよその寿命を見てみましょう。
USBメモリやSDカードなどの「フラッシュメモリ」は、5年~10年の寿命。
パソコンでいつも使っているハードディスクドライブ(HDD)、これが何と3~5年の寿命!
短いです!
ハードディスクドライブは良く使いますが、磁気や衝撃に弱いため、耐用年数は低いようです。
いつも作業しているデータこそ、気をつけなければなりませんね(;^_^A
続いて、CD、DVD、ブルーレイディスクなど「光ディスク」と呼ばれるものは、10年~30年。
意外に短いですよね。
ブルーレイディスクなどを、最終の保存先にするケースもあると思いますが、この寿命をみると、果たしてその判断でよいのかどうか迷います。
ただし、ブルーレイディスクなどは、近年開発されたM-DISCという「長期保存用光ディスク」と言われるタイプのものならば、100年から1,000年の耐久性があると言われています!
いきなり長くなりますね。
M-DISCの記録ディスクは、いまだ高額で、書き込みにはM-DISC専用の機器が必要です。
アナログ媒体はどのぐらいもつの?
見落としがちですが、アナログの記録媒体はどうでしょう。
例えば・・・
マイクロフィルムなどは、500年ほどの寿命。
長いです!
でも、アナログ勢の実力は、こんなものではありません。
和紙やパピルスが、1,000年~2,000年!
粘土板は、5,000年! (゜A゜;)
もう、いきなり「文明」レベルの長大な期間になっています。
石板にいたっては、3万年ほど持つそうです!
3万年・・・。
もっとも、これらの寿命の比較は「媒体が長持ちするかどうか」の話であって、記録の精度とは関係ありません。
アナログ媒体になればなるほど、「記録密度」は低くなっていきます。
つまり、石板に近づけば近づくほど、記録できる情報は少なくなってくるということです。
石板に刻み込んだ絵や文字と、ブルーレイディスクに記録したデジタル情報を比較すれば、そのボリュームの差は歴然でしょう。
最新の記憶媒体の寿命は
しかし近年、これらのデジタル、アナログ媒体の寿命期間をはるかにしのぐ、ハイテク記憶媒体が開発されたようです。
はるかにしのぐって、まさか・・・
3万年以上あるの?
3万年?
いやいや、そんなショボい期間ではありません。
その耐用年数、何と138億年!
もう一度言います。138億年!!(;^_^A
もはや、一つの惑星の寿命、いや宇宙の歴史の単位になってしまっています。
この記録媒体は、イギリスのサウサンプトン大学の科学者が開発したもので、ガラスに特殊なレーザーで情報を書き込む媒体なのだそうです。
映画「スーパーマン」に登場する、ハイテクなメモリークリスタルになぞられて、「スーパーマン・メモリークリスタル」と呼ばれているそうです。
しかし、138億年とは、いったいどういう長さなのでしょうか。
地球の年齢が45億年、宇宙の年齢が138億年、と言われています。
つまり、この媒体は、宇宙が生まれてから今日までの間持ちこたえられるもの、ということになるのでしょうか (;゜д゜)
これはもはや、「永遠」と言っていいでしょう。
ただし、人間にはその実績のほどを確かめる術はありませんが・・・。
無形の記憶媒体
さて、これまで挙げたデジタル媒体もアナログ媒体も、全て「物体に記録を残す」という方法です。
もし媒体が壊れたり、消えてしまったら、情報を読み取ることはできません。
つまり、石板が粉々になったりディスクが破損したら、ジ・エンドです。
ところが、人類は長年にわたって、物体にではなく形のないところにも、情報を保存する方法を開発してきました。
それは、「人の記憶の中」です。
といっても、単なる語り草や民話、伝説の話ではありません。
厳密に選ばれて、記憶力を訓練された人に、口伝え、つまり「口承」で情報が伝授される方法です。
「一万年の旅路
~ネイティヴ・アメリカンの口承史」
(原題:THE WALKING PEOPLE)
という本に、それが記されています。
僕は、20年以上前に初めて、この540ページのボリュームのハードカバーの本を読みました(日本語版です)。
この本は、ネイティヴ・アメリカンのイロコイ族の系譜をひく女性、故・ポーラ・アンダーウッドさんの著書です。
つまり、このポーラさんという人が、ネイティヴ・アメリカン口承史の伝承者の一人だったということです。
pixabay(写真はイメージです。ポーラさんではありません)
口承の緻密な方法
この本にも書いてありますが、口承の方法は、実に壮大で緻密、そして正確です。
一族はまず、誰に情報の伝承者としての素質があるかを、慎重に見定めます。
そして、伝承者が決まったら、時間をかけて記憶の訓練を行い、その後順を追って少しずつ情報を伝えます。
口承作業は、何年もかかります。
やがて、
自分がそれを話せるほどに理解し、
描けるように風景を想像し、
登場する人々の考えを理解し、
話が意味する「本質」を理解し、
脳内に定着させると、
伝承は完了です。
やがて時が来たら、次の世代の伝承者を選び、また時間をかけて少しずつ伝えるのです。
ポーラ・アンダーウッドさんは、父と長い時間をかけて記憶の訓練をしました。
そしてその後、何年もかけて、一族で伝えられてきた何千年分の情報を、父からの口承によって記憶したのです。
そして、自分の世代で初めてそれを英語に翻訳し、文字にして書物に書きとめる決意をしました(本にして540ページもの情報です)。
それが「一万年の旅路」という本です。
ネイティヴ・アメリカンは、どこから来たのか?
あなたは、ネイティヴ・アメリカンや南米の人たちの顔が、われわれ東洋人に似ていると思ったことはないでしょうか?
確かに、彼らとわれわれは似ています。
これには理由があるのです。
約1万年前、ユーラシア大陸とアメリカ大陸に挟まれたベーリング海峡は、まだかろうじて陸続きでした。
そのころの状態を、「ベーリング陸橋」と呼ぶそうです。
われわれの祖先であるモンゴロイドは、アジアを旅立ち、何千年もかけてこのベーリング陸橋を通って北米大陸へ移動したというのです。
これは、現在定説になりつつあるようです。
そして、当時無人だったといわれる北アメリカ大陸に到着すると、さらに南下、東に移動し、3,000年ほど前に現在のカナダのオンタリオ湖周辺に定住した、ということです。
数十万年前にアフリカから始まり、地中海、アジア大陸を横断し、北米大陸まで移動したモンゴロイド。
ネイティヴ・アメリカンは、このモンゴロイドの子孫、つまり、われわれ日本人と同じ祖先を持った民族だったのです。
Wikipedia(イロコイ族の写真ですが、文中の一族の写真ではありません)
「一万年の旅路」には、この壮大な旅の一部始終、そして、旅を通じた一族の学びが、丹念に書かれています。
成功したとき、失敗したとき、どんなときでも丁寧に話し合い、時には最年少の子供の言葉に耳を傾け、力を合わせて様々な問題を乗り越えます。
一族はとても謙虚で知恵があり、仲間(特に子供)を大事にします。
しかし、決して最初からうまくいってはいなかったようです。
くじけず、諦めず、先人から学び、自分たちで考えて生き延びてきました。
そして、何千年分の旅や知恵、人生の考え方のエッセンスを「贈り物」として口承してきたのです。
ちょっと長いですが、何なら、このまま教科書にしてもいいくらいの内容です (^-^)
もしご興味がわいたら、読んでみてください。
楽しみながら、物事の本質を理解しながらの口承作業
ポーラさんと父の訓練と伝承は、実に自然で興味深いものだったようです。
父は、いつもポーラさんが興味を引くように進めました。
時には、わざと話を途中でやめて、「その後の展開が聞きたくて仕方がない」そういう状態にして終わりました。
いわば「好奇心が空腹」の状態です。
そして、再開したときには、まさにしみ込むように頭に入ってきて記憶されたようです。
時には、ただ伝えるだけではなく
「それについてどう思うか?」
「君ならどう考える?」
そういった「対話」をしました。
うわべだけではなく、物語の背後にある「本当に意味するもの」を自分なりに検討し、理解しながら、進めていったのです。
つまり、全くのところ「詰め込み教育」ではなかったようです。
この口承作業の全てが、後世に対する一族の「贈り物」だったのでしょう。
日本で、もしこうした教育のエッセンスがもっと取り入れられたら、どれほどよいことでしょう。
興味を引っ張っていく、学習方法。
試験のためではなく、自分にとって意味のある記憶と理解、そして吸収。
自分なりに、考える力を身につけること。
そうすれば、人生に役立つ真の勉強ができるかもしれませんね。
モンゴロイドの末裔として。
ではまた次回!
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