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宇宙からの帰還|NASA宇宙飛行士の驚くべき心理的体験

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出発の朝

午前4:30
アメリカ・フロリダ州東海岸。


男たちは起床すると、医務室に行って身体検査を受けた。
ステーキとスクランブルエッグの朝食をとる。


その後、再び身体検査をする。
脈、血圧、呼吸などを測るため、胸や腹にセンサーを付けられる。
採尿器をつけ、専用の下着をつけ、そして、宇宙服を着る


午前6:30
サターンV型ロケットの発射台に到着する。
エレベーターで360フィート(約110m)の高さまで昇り、ロケット最上部近くの司令船に乗り込む。


午前7:00
司令船のハッチが閉まる。


午前9:00
ロケットが点火され、火を吹き始める。
すさまじい轟音とともに、ロケットは猛烈な速度で上昇を始める。
4Gの加速度で、乗組員たちは座席に押し付けられる。


600トンのケロシン燃料と1,400トンの液体酸素をわずか2分半で燃焼して、時速8,500kmになる。

2段目、3段目の燃料が燃やされた後には、時速39,000km(秒速10km)のスピードに達している。


ロケットは慣性の法則に従い、秒速10kmで月へ飛んで行く。

 

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これは、かつて1961~1972年のころに実施された、NASAのアポロ計画の風景だ。

初期の宇宙飛行士たちは、ほとんどが軍関係者やパイロット、科学者などから選ばれていた。


ある飛行士は、自分たちのことを

“nuts and bolts type”
「ボルトとナット型」

と呼ぶほど、メカニカルなことにしか関心がない技術者集団だった。


彼らが、文化や政治経済などの話題を話すことはなく、そのような話題は、口に出すことすらはばかれる空気だったという。

地球に帰って来ても、宇宙飛行の精神的な面については語る機会もなく、仲間同士で話すこともなく、

そうした記録もほとんど残っていなかった。

 

しかし、実は

 

彼らのうちの何人かは、宇宙飛行を通じて
人生を根底から変えてしまうほどの衝撃を受けていた。


例えば、

地球の軌道上から地球の姿を見たとき。

月へ向かう途中で、遠ざかっていく小さな地球を見たとき。

自分が月の上に降り立ったとき。


彼らは、言葉では言い表せないほどの、大きな内的インパクトを経験をしていたのだった。

 

f:id:wakaru-web:20200508214018j:plain月へ行ったアポロ11号のクルー
Wikimedia Commons

 

宇宙からの帰還

宇宙から帰還した飛行士たちの心理的体験。
これは、立花隆(たちばな・たかし) 氏の著書「宇宙からの帰還」に書かれています。


立花隆氏は、1940年生まれのジャーナリスト。

「田中角栄研究」他、社会に影響を与えた多くの著書があります。
「宇宙からの帰還」は、1983年に刊行されたノンフィクション作品です。

 スペースシャトルが登場する以前の時代。
マーキュリー計画、ジェミニ計画、アポロ計画のころの宇宙飛行士たちを訪ね、膨大な取材を行って書かれた作品です。


※当記事には、特定の宗教や至高の存在などの感覚を、共感あるいは否定する特別な意図がないことを、あらかじめお伝えしておきます。

 

 

多忙を極める訓練の日々

宇宙飛行士に課された学習や訓練は、とてつもなく膨大です。

 

勉強する内容は・・・

天文学、航空工学、航空力学、ロケット推進、コンピューター、通信工学、数学、地理、高層大気圏物理学、宇宙空間物理学、環境制御、医学、気象学、誘導制御、宇宙航法、地質学、岩石学、鉱物学

・・・などなど。

これ以上の範囲があるうえに、それぞれの課目を何10時間も学ばなければなりませんでした。

 

中でも変わった訓練として、「サバイバル訓練」がありました。

地球に帰還したとき、場合によっては宇宙船が予定地点に着水できず、ジャングルの中や沙漠地帯に落ちるかもしれない。

そのとき、ジャングルの中でどうやって食料を見つけるか、危険に対応するか。

救出隊が到着するまでの生き延び方を、学びました。


実際に、本物のジャングルや砂漠に行ってサバイバル実習まで行ったといいます。

 

f:id:wakaru-web:20200509090839j:plain宇宙飛行士のサバイバル訓練
Wikimedia Commons


このような学習や訓練に加えて、宇宙計画のPR集会などにも出席するため、宇宙飛行士たちは全米を駆け巡らなければならず、多忙を極めました。


家庭を顧みる余裕もありません。


そのため、なんと彼らにはT38ジェット練習機が「自家用機」として与えられていたそうです。

自家用ジェット機で全米を移動していたのです!

 

本番そっくりのシミュレーション

月への飛行に関しては合計、3,000時間にもおよぶシミュレーション訓練がありました。

打ち上げ、宇宙飛行、月着陸、そして地球への帰還まで。

シミュレーションは、本番と全く変わらないほどの驚くべき正確さで再現されていました。


例えば、本物の月面そっくりの緻密なレリーフ模型が作られ

操縦装置と連動して、テレビカメラが模型を映していくという仕掛けになっていました。

シミュレーターの窓には、本番と同じような光景が見え、乗っているときの震動や轟音までも再現されていたようです。

 

だから、宇宙飛行士たちは本当に月に行った時にこう思ったそうです。

これはシミュレーションとそっくりだ


宇宙飛行の一番の目的は、人間が宇宙や月へ行って無事に地球に帰ってくることです。

そのために、何重もの安全策やトラブルへの対策が考え抜かれていたのです。

 

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宇宙飛行士のシミュレーション訓練
Wikimedia Commons

f:id:wakaru-web:20200509120323j:plain月面活動のシミュレーション訓練
Wikimedia Commons

突如訪れる空白の時間

本番の宇宙飛行の間も飛行士たちは、目が回るほどの忙しさです。


ヒューストンからの指示を受けながら、準備や点検など、「分刻み」で組まれたスケジュールをこなしていきます。

常に技術的なタスクに追われていて、何か考えたり感じたりしている余裕は全くありません。

 

f:id:wakaru-web:20200509115038j:plainWikimedia Commons

 

しかし、そんな過密な時間に、
突如として「空白」ができることがありました。

 

例えば、次のような瞬間です。

船外活動中にふと待ち時間ができて、一人ポツンと宇宙空間に浮いているとき

あるいは、月への飛行中に膨大な点検作業を終えて、ようやく一息ついて窓の外を見たとき


そうした時に彼らは「初めて」、

広大な宇宙やそこに浮かぶ地球の姿を、目の当たりにすることができたのです。

 

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奇跡の5分

「地球は青かった」


人類史上初めて宇宙空間に出た旧ソ連のユーリ・ガガーリンの言葉は、あまりにも有名です。

宇宙に浮かぶ地球の美しさが、宇宙飛行士に大きなショックを与えました。

しかし、宇宙飛行士が受けたインパクトは、これだけではありませんでした。

 

 アポロ9号の宇宙飛行士だったラッセル・シュワイカートは、こう語ります。

「地球軌道周回で月着陸船から船外に出て、
手すりを伝って司令船に移動できるかどうか、という実験をしていた。


いよいよ実験開始というときになって、なぜか記録用のカメラが故障した。
仕方なく、仲間が司令船に戻ってカメラの調整を始めた。


それからカメラが直るまでの間、私はたった一人で何もすることがなく、宇宙空間に取り残された。


それは、時間にしてわずか5分くらいのことでしかなかった。

しかし、その5分間が、私にとっては人生において最も充実した5分となった」


彼はいったい、その5分間で何を感じたのでしょうか。

 

f:id:wakaru-web:20200509115636j:plainアポロ9号の宇宙飛行士ラッセル・シュワイカート
Wikimedia Commons

 

宇宙と地球と自分

宇宙で浮いていたシュワイカートが見下ろすと、眼下に地球がありました。


宇宙服のヘルメットの視界を遮るものは何もなく、漆黒の宇宙とあまりにも美しい地球

地球軌道を周回中で、時速17,000マイル(27,000km)の超高速で飛んでいるはずなのに、そのスピードを実感させるものは何もない。

完全な静寂が支配している。

 

宇宙空間の真っ只中に、ただ自分がポツンと浮いているだけです。


シュワイカートは、その5分間に思いを巡らせました。
こんなチャンスは、二度とないことを知っていました。

 
「おまえ(自分)はなぜここにいるのか」

「おまえが見ているものは何なのか」

「おまえと世界はどう関係しているのか」

 

f:id:wakaru-web:20200509104427j:plainWikimedia Commons

 

そして、漆黒の宇宙と地球と、それを見下ろしている自分を感じて、こう思ったそうです。


「おこがましい言い方になるかもしれないが、

人間という「種」を代表して自分がそこにいると思った。

自分は、人間という種のセンサーになっていた。
感覚器官にすぎなかった。

 
「種」というものをこれほど強烈に意識したのは、初めてだった。


それは、最高にハイな瞬間だった。
しかし、通常よくある、エゴが高揚するハイではなくて、
エゴが消失するハイだった。


この体験は、私の個人的な価値ではなく、
私が人類に対して持ち帰って伝えるべき価値だと感じた」


そして、こう続けます。


「人間と地球との関係を、もっと深く考えなければいけない。


人間同士のことだけではなく、人間という種と他の種との関係
人間という種と地球との関係を、もっと考えなければならない。


(当時)眼下の地球では、第三次中東戦争が行われているが、
人間同士が殺し合うより前に、もっとしなければならないことがある」

 

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神と呼ぶ「何か」

他の何人かの宇宙飛行士も、「宇宙空間でとてつもないインパクトを感じた」と、取材した立花氏に証言しています。


多くの飛行士が共通して語ったのは「」の存在です。


アメリカ人がクリスチャンであることは、何ら特殊なことではありません。

しかし、宇宙飛行士たちがみな敬虔なクリスチャンだったかというと、必ずしもそうではありませんでした。

「神」の存在に疑問を持っていた者も、少なからずいました。
(社会的な影響を考えて、表には出さなかったようですが)

 

しかし、

彼らが宇宙に浮かぶ地球を見たとき

荒涼とした月面を肉眼で見たとき

月の上を移動しているとき

 

つまり、宇宙空間を体感した時

神がここにいると確信した」と言うのです。

 

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それは、白い衣を着て髭をたくわえ、杖をついた神がいるのではなく、姿はないが確実に存在感のある神。


自分と神の距離が、

まるで同空間にいるかのように、
まるで隣にいるかのように身近になって

振り向くとそこに「神」がいるに違いない、という感覚にとらわれたそうです。

実際に、何度も振り返って後を確認した者もいました。

 

いったいこれは、どういうことなのでしょうか?

 

飛行士によっては、「神」というよりもこの世界を創った「至高の存在」を感じた、と言いう者もいます。

この調和のとれた世界を創造した存在が、あるに違いない。

なければおかしい。

今自分が見ているもの、宇宙や地球の調和は、その存在が作った世界だと感じた、というのです。


特徴的なのは、自分自身がこのように「神」や「至高の存在」の確信を得ることになるとは、夢にも思ってもみなかったと語る者が多かったことです。

 

宇宙体験とは、それだけ人類の経験を超えた体験だったのでしょう。

 

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著者の立花氏は、深く言及していませんが、信仰の深さにかかわらず「飛行士たちがクリスチャンである」という下地は、きっと、こうした経験に影響を与えたに違いないでしょう。

 
もしアジアで生まれ育って、クリスチャンではない人間が同じ体験をしたとしたら、アメリカ人と同じように感じたでしょうか。

また別の感じ方、受け取り方で「神」や「至高の存在」以外の感覚を抱いたかもしれませんね。

 
そうした体験談があれば、是非読んでみたいものです。 

 

宇宙飛行士たちの後の人生

宇宙体験で内的なインパクトを受けた飛行士の多くには、その後、NASAをやめて様々な転身・変化を遂げたケースがあります。

 

例えば、

  • 宇宙で神の存在を確信して伝導者になった者
  • ESP能力(いわゆる超能力)の研究科になった者
  • 上院議員になった者
  • 絵描きになって、月世界ばかりを描いている者
  • ビジネスに転身して大成功をおさめた者

中には、精神に異常をきたした者もいたようです。


宇宙体験をすると、前と同じ人間ではありえない

シュワイカートのこの言葉の通り

形はどうであれ、いずれも宇宙飛行の前よりも広い視野を得て世界を見るようになり、それまでの自分になかった新しいビジョンを手に入れた者たちが、多かったようです。

 

未来の人類の先駆け

シュワイカートは語ります。

「宇宙から地球を見たとき、私の受けた精神的インパクトは、
まるで、人間の体内にいたバクテリアが体外に出てはじめて
人間の姿全体を知ったときに受けるであろうようなインパクトだったのだ」


彼の言葉の通り、宇宙での精神的な体験は、人間の視野を広げて次の進化を遂げる先駆けになるものなのかもしれません。

 

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人類はこれから、成功と失敗を繰り返して少しずつ、宇宙に出ていく。


やがて未来の時代、宇宙や他の惑星に住むようになったとしたら

現在の価値観や常識をはるかに超えた意識を持つ「種」になるのかも知れませんね。

 

いや、あるいはそうではなく、
今後どこに行こうとも、人類はさして変わらないでしょうか?

これまでの人類の歴史を見てみると、その可能性も大いにあるように思えます。


願わくば、今よりも広く深い知見を持って、
宇宙に出てまでも今と同じような争いや奪い合いが続かない「種」になれることを、祈るばかりです。


そしてそれは、現在の私たちの歩み方次第でもありますね。

 

 

 ではまた次回!

 

 

(当記事は、立花隆氏の著書「宇宙からの帰還」から 抜粋・引用・加工しています)

 

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ソラリスの海に映るもの|潜在意識との対面

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宇宙には、様々なサイズ、形態の惑星が存在します。


例えば、地球よりはるかに大きかったり、小さかったり。

形態も、

地球のような岩石質惑星

木星のようなガス惑星

天王星のような氷惑星

などなど様々です。


昨今では、「地球に近い大きさで、なおかつ水のある惑星」の探索が、盛んになっているようです。


2015年に、NASAが「液体の水」が存在する可能性がある惑星を、発見しました。

「ケプラー452b」と名付けられ、地球から1,400光年離れています。

1,400光年とは、光の速さで1,400年かかる距離ということですね。


途方もない距離です。

 

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さらに、2017年、やはりNASAが地球によく似た惑星を、7つ発見しました。

今度は、地球から39光年の距離なので、格段に近いです!

といっても、今の技術では辿り着けませんが(;^_^)


この7つの惑星は、全て「1つの恒星系の惑星」、

つまり太陽系の太陽のような特定の「恒星」の周りをまわっています。

いずれも、地球の0.7~1.1倍の大きさというのですから、地球に非常に近いサイズです。


そして、その7つの惑星のうち少なくとも3つの惑星の地表に、「液体の水」が存在する可能性があると言われています。

 

なぜ、地球と似ていて「水のある惑星」が、探索されているのか。

それは、そうした環境ならば「生命」が存在する可能性があるとみなされるからです。

 

地球外生命体の存在」ということですね。


ただし、ここで言う環境は「地球の生命」の環境を基準としているでしょうから

地球とは全く違う形態の生命、

想像の世界ですが、例えば、水分がなくても生きる生命体、大気がなくても生きる生命体など、

地球の常識では計り知れない生命体も、存在するかも知れませんね。

 

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ところで、決して忘れることのできない「惑星」の物語があります。

地球からはるか彼方、海に覆われた惑星の話です。


波立つ海と、海に立ち込める霧。

一見して、「地球の海」と似ているように見えますが、この惑星の海は根本的に違います。

単に、生命をはぐくむ大きな水の集まりではありません。

その海はなんと、ひとつの有機体、つまり「生命体」なのです。


その惑星は、「ソラリス」と呼ばれています。

 

 これは、アンドレイ・タルコフスキー監督の1972年の旧ソビエト連邦の映画「惑星ソラリス」の世界です。

映画の原作は、ポーランドのSF作家であるスタニスワフ・レムの小説「ソラリスの陽のもとに」。


映画の設定はSFですが、タルコフスキー監督の独特の世界観によって、SFの枠にとどまらず、心理学、哲学、人間の情景に重きを置いた作品になっています。


では、映画「惑星ソラリス」の世界に入ります。


(以下、映画の完全なネタバレがありますので、ご了承ください)

 

ソラリスの海

惑星ソラリス上空のステーションで、人類は、何十年もの間「ソラリスの海」の研究を行ってきました。


一見、何の変哲もない海。

しかし、探索機で上空を飛行していると、海上で驚くべき現象が起こります。


海の、ある部分で海面が凝固して、何かの「形」を作り始めるのです。

「形」とは、そこにはあるはずのない想像を超えたものです。

 

例えば「公園」。

 

そう、遊具があり、木立がある、子供たちが遊ぶあの「公園」です。

ソラリスには陸地がないので、そんなものが存在するわけがありません。

いや、そもそも、地球の「公園」が、この惑星にあるはずがありません。


いったいどうして、そんなものが出来上がるのか。

誰が、そんなものを作るのか。


よく見ると、その「公園」の細部は偽物です。

木も葉っぱも、単に形を模しただけで、本物とは違います。

この「公園」は、海の凝固した部分が作る「造形物」なのです。

 

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またあるときには「赤ん坊」が現れる。

 

海の上に、「赤ん坊」が浮かんでいるのです。

極めて異常な光景です。

なぜ、ここに人間の「赤ん坊」がいるのか。


しかも、4メートルもの大きさです。

本物であるはずがありません。


これらの「造形物」は、調査員が上空を飛行しているときに現れるのです。

目撃した調査員は驚愕し、混乱します。

行方不明になる者、精神に異常をきたす者もいます。

 

ソラリス・ステーションの謎

地球に向けて、不可解な報告ばかり送ってくる、ソラリス・ステーション。

研究は行き詰まり、最初は数十人いた研究員も、今ではたった2人になってしまった。


今後も研究を続けるのか、中止にするのか。

それを見極めるために、地球から心理学者ケルビンが派遣されます。


ソラリスに到着したケルビンが見たものは、荒廃したステーションと、

部屋にこもる2人の研究員でした。


いたるところにゴミが散乱し、むき出しの電線がショートして火花を散らしたまま放置されています。

研究員の2人は、彼を出迎えることもしません。

 

 
 
 
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研究員たちが隠すもの

残った2人の研究員、スナウトとサルトリウス。

彼らの挙動は、どこか不審です。


初めて会ったというのに、さっさと部屋から追い出そうとしたり、

半透明のドアに内側からカーテンをかけて、中が見えないようにしている。

まるで、何かを隠しているようです。


いったい何を隠しているのか。

それはすぐにわかります。


彼らの部屋には、いるはずのない人物がいるようです。

それは、あどけない子供や、子供とも大人ともつかない風変わりな人物。


今このステーションには、ケルビンを含めて3人しかいません。

子供など、いるはずもありません。

いったいこの人物たちは、何者なのか。


そして、奇妙な現象はケルビンも起こります。

 

妻のハリー

ケルビンが部屋で目を覚ますと、ベッドの前の椅子に彼の「」が座っています。

いつの間にかそこに座っていて、じっと彼を見つめています。

 

 
 
 
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ケルビンの妻がいる。

 

それは、単に「場違い」というよりも、不可能なことなのです。

なぜなら、彼の妻はもうこの世にはいないからです。


妻・ハリーは、10年前に亡くなりました。

ケルビンとの夫婦喧嘩の後、彼の研究用の薬品を腕に注射して、自らの命を絶ったのです。

今、目の前にいるのは誰なのか。

 
ハリーは彼に問いかけます。

「私のスリッパはどこ?」


異常な事態に、必死に平静を装うケルビン。

彼の額からは、汗が滴り落ちてきます。

スリッパを探す妻から目をそらして、彼は言います。

「スリッパは・・・そこにはないよ」

 

妻のハリー自身も、何か混乱しているようです。

ケルビンが旅の荷物で持ってきた、亡きハリーの写真立てを指して

この人は誰?」と問います。

自分のようだけど、自分ではない。

「なんだか頭が混乱して、思い出せないの」

自分がいったい誰なのか、わからないのです。


まるで、生まれたばかりの生命のように、頭の中の情報が足りないのです。

 

ロケット発射台

ケルビンは、仕事があるからと言って、

妻とともに宇宙服に着替え、ロケットの発射台に行きます。

狭い操縦席に「妻」を乗せたかと思うと、急いで外側からハッチを閉めます。


ロケットの発射ボタンを押します。


激しい噴射とともに、妻だけを乗せたロケットは上昇していきます。

なぜか、噴射音にまじって人間の叫び声のような、すさまじい音が聞こえます。


無我夢中で打ち上げたため、ケルビンは発射台から退避することを忘れ、ロケット噴射の炎で顔に火傷を負います。

やがて、ロケットは見えなくなります。


ケルビンは、突然目の前に現れた妻を宇宙に葬り去ったのです。

 

 
 
 
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人間の意識を物質化する

10年前・・・

些細な喧嘩だと思っていたのに、自分が家を離れた隙に薬で自殺してしまった妻。

再び現れたあの「」は、いったい何者なのだ。

全くの自分の幻覚、妄想だったのか。

しかし、触れた体温、声、立ち振る舞いは、どう見ても「妻」そのものだった。


この現象は、いったい何だというのだ?


もはや、冷静さを失っているケルビン。

その様子を見た研究員・スナウトは、慣れた口調で言い放ちます。

「そうか、現れたか」

 

スナウトは、これまで研究してきたソラリスの秘密を語り始めます。

ソラリスの海は、人間の頭脳から記憶の一部を取り出して「物質化」してしまうのだ。


我々が眠っている間に、記憶を抽出するらしい。

彼ら(造形物)は、また現れるかもしれない。

 無限に再生し得るからだ。

 

 
 
 
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研究員たちの受難

スナウトの言葉通り、妻・ハリーは、再びケルビンの前に現れます。

ロケットで打ち上げたハリーとは別の、「新たなハリー」です。


一人目と同じように、このハリーにも感情があり、寂しがり、傷つき、涙を流します。

次第にケルビンは、彼女を「造形物」としてではなく、「」として接していきます。


しかし、もう一人の研究員・サルトリウスは、そんな彼に警告します。

 

ハリーはもう死んでいるのだ!

「これ」は女ではない。

人間ですらない。

「これ」は、ソラリスが作った単なるハリーの「複製」に過ぎないのだ!

我々は、仕事に取り組むべきだ!


ケルビンは、妻への愛情と現実の間で迷い、悩み、生気を失っていきます。

もはや冷静な学者ではなく、戸惑って苦しむ一人の人間です。


ソラリス研究を見極めるためにやって来た彼は、

見極めるどころか、自分がソラリスの「造形物」に心を奪われてしまった

これがまさに、ステーションの研究員に降りかかった受難だったのです。


ソラリスの海が意思を持って「造形物」を作っているのかどうかはわかりません。

ただ、人間たちが、自分の内だけにあるはずの「意識」と対面して、混乱しいくのです。

 

 
 
 
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人間の深層に迫ったタルコフスキー

この映画で、タルコフスキー監督は、SFという舞台を借りて淡々と人間の情景を描きました。

ロケットやステーション、複雑な計器類が登場しても、タルコフスキーにとってそれらは単なる「飾り」なのかもしれません。


そして、映画には、原作にはないモチーフが入れられています。

地球上でのケルビンの生家の風景です。

 

 
 
 
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静かな池や木立ち、宇宙に発つ彼との別れを惜しむ年老いた父と母。

せせらぎの中で揺れている、水藻。

納屋にいる馬、家の周りで遊ぶ犬。


ゆったりした時間の中で、こうした牧歌的な風景が流れていきます。

これらの場面は、原作には全くありません。

全て、タルコフスキーの世界観です。


以前、当メルマガに登場した、タルコフスキーの映画「ストーカー」にも通じるものです。

SFの設定が、単なる「味付け」に過ぎないと感じるところまで、強い演出の方向性を示すのです。


こんなエピソードがあります。


「惑星ソラリス」の映画化に関して、原作者のSF作家:スタニスワフ・レムとタルコフスキー監督が話し合いました。

2人は、互いの主張をぶつけ合ったあげく、しまいには決裂してしまいました。

原作者としてSFの設定にこだわったレムと、それとは反対方向の演出をしようとするタルコフスキーが、ぶつかり合ったのかもしれません。

最後に、怒ったレムが
お前はバカだ!」と言い放ったそうです(;^_^)


もともと、レムが鋭く批判的な人間だったこともあったようですが、

タルコフスキーが、それだけ強い信念や方向性を持って映画作りに臨んだのは、確かなことでしょう。

そして、2人とも、さぞかし強烈な個性の持ち主だったのでしょう。

 

 
 
 
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ケルビンの原風景

映画のラストシーンです。


主人公ケルビンが、彼の生家に戻っています。


大好きな両親が住む家。

彼が帰りたかった場所。

彼のもとに、犬が走って来ます。


バッハのコラール前奏曲が流れています。


家には父がいて、何やら書物を探しています。

天井から「水」が落ちています。

父の肩にも、水が滴っています。


バタバタと落ちてくる、尋常ではない水の量

しかし、父はまったく気にしません。

 

なぜなのか?

 

 
 
 
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やがて父は、窓から覗いているケルビンに気づき、家の外に出てきます。

ケルビンは、安堵感に浸るかのように父の足元にひざまずきます。


カメラが上昇していくと、俯瞰映像(見下ろす映像)になり、

家のそばの池が映り

周辺の道が映ります。


さらに上昇すると

その周りには、広大なソラリスの海が広がっています。

ソラリスは、彼の原風景を「島」にして作り出したのです。


ハードSFの鋭さと、自然の風景を描く静かな描写が、強烈な対比を生んでいます。

今、劇場ではめったに上映されないであろう本作。

ブルーレイやDVDなどで見つけたら、是非一度見てみてください。

 

 

ではまた次回!

 


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ブアメードの血|心と体はどこまでつながっているのか

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明日のプレゼンテーションが不安です。

 

頭の中で何度も練習したけど、みんなの前で間違えずに話せるだろうか。

緊張のあまり、頭が真っ白にならないだろうか?

考えれば考えるほど不安になってきて、何だかお腹がシクシク痛くなってきました

 

レポートの締め切りに追われて、気が気ではありません。

金曜までに間に合うだろうか。

無事提出できるだろうか。

なんだか、頭全体が締め付けられるように痛みます
風邪でもないのに、ズキズキ痛むんです。

 

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でも・・・



大好きな人に会えるので、疲労困憊していた体に元気がみなぎりました!

腹痛も頭痛も、どこかへ行ってしまった

ああ、明日が待ち遠しい!


こうした経験は、誰にでもありますよね。

嫌なことやストレスがあると体調が悪くなり、嬉しいことがあると元気になり、エネルギーが満ちてくる。


つまり、「気持ち」が「体」に強く影響しているのですね。


シビアな場面では、闘病している人の気持ちがダウンしたらバイタリティが落ちていく、ということもあると思います。

いったい、人の心と体はどこまでつながっているのでしょうか

 

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自動的に動いてくれる私たちの体

私たちの心臓や呼吸は、健康であれば「自動的」に動いています。

 

汗をかく、まばたきをする、血を巡らせる、食物を消化する。
これらの動作も同様です。

こうした機能は、意思とは無関係に動いていて、逆に自由に止めたり始めたりすることはできません。


「心臓よ止まれ!」と言っても止まりません。

「消化を開始しろ!」と叫んでも無理ですね。


自分の意思とは無関係な動きを管理・制御しているのが、「自律神経」と呼ばれる神経です。

自律神経のおかげで、私たちは生死にかかわる動作をいちいち気にせずに、いられるのです。


しかし、体の活動が「気持ちの変化」に左右されることもあります。

 

ブアメードの血

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pixabay

 

心と体の関係について、よくたとえに出される話があります。


※この後、少しショッキングな内容が含まれますので、気分のすぐれない方はご注意ください。


1883年に行われたある実験の話です。

オランダに、ブアメードという政治犯(死刑囚)がいました。

彼は、医師から「医学の進歩のために危険な実験に協力して欲しい」と頼まれました。


医師は彼にこう説明しました。

「人間の血液の量は、体重の10%だと言われているが、私たちはそれ以上の量があると考えている。その考えを証明したいのだ」


ブアメードは、医学のために実験を受けることを了承しました。

 

間もなく実験は開始され、彼は目隠しをされてベットに横たえられ、縛り付けられました。

「では、これから実験を始めます」

 

医師たちは、血液を抜くためにブアメードの足の指にメスを入れ、用意した容器に血をポタポタと垂らし始めました。

 

実験室に、滴り落ちる音が響きます。

 

1時間ごとに、累計出血量がブアメードに告げられました。

やがて、実験開始後、5時間が経過しました。

出血量が体重の10%を越えた」医師たちは言いました。

 

その時、ブアメードは既に死亡していました。



しかし、彼は失血によって死亡したのではありませんでした。 

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彼の足の指はメスで切られておらず、出血などしていなかったのです。

足元の容器には、医師団が仕掛けた「水」がポタポタと垂れていただけでした。

実験室に響いていたのは、ただの水の音だったのです。


しかし、ブアメードは、メスで自分の足を切られ、徐々に体から血液が失われたと思い、やがて死んでしまいました


実は、医師団は「心が体にどれだけ影響するのか」の心理実験をしていたのでした。

 

これはいわゆる、「暗示」や「思い込み」の効果です。

思い込みの力で、一人の人間が命を落としてしまった。

本当にそんなことがありえるのでしょうか?


そもそも、死刑囚とはいえ、医師団の実験はあまりにも非人道的だ、と思うかもしれません。

この話には諸説あり、実際には全てが真実かどうかは、定かではありません。

しかし、「心が体に与える影響」を説明するときによく引用されています。


ブアメードは、出血していないのに、自分の血がなくなったと思って死んでしまった。

普通に考えれば、信じがたいことです。

 

しかし・・・ひょっとしら、あり得るかもしれないと、どこかで感じるでしょうか?

感じるとしたら、それは私たち自身が「体は気持ちに左右される」ということを、よく知っているからではないでしょうか。

 

 

故障した冷凍車

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もう一つ、同じような話があります。

 

ソビエト連邦が複数の国家に分裂する前の時代。

シベリア鉄道の冷凍車の修理のため、ある機械工が冷凍車の中で作業していました。

 

ふと何かの拍子に、誤って冷凍車の扉が閉まってしまいました。

その扉は、外からしか開けることができないため、機械工は必死に扉を叩いて助けを求めました。

しかし、夜遅くだったため、ほとんどの労働者は帰ってしまっていました。

 

彼はついに、冷凍車の中で一夜を過ごすことを覚悟しました。


翌日になって、労働者たちが仕事に来て冷凍車の扉を開けると、床でその同僚が死んでいました。

壁には、彼が時間を追って書いたと思われるメモがありました。

 

「だんだん寒くなってきた」

「自分はここで死にそうだ」

「これが最後の言葉だ」

 

おそらく、彼の死に至る記録です。



しかし、労働者たちは困惑しました



なぜなら、冷凍車は修理中で、冷凍ユニットがまだ動いていません。

だから、冷凍車内は10度以下になることはなく、「冷凍」にはほど遠い温度でした。

 

つまり彼は、凍死ではなく「自らの思い込みによって死に至った」としか考えられなかったのです。


この話も、「思い込み」は、時には人の命をも左右するというエピソードで、多くの書籍で引用されているようです。

 

 

経験が行動を決める

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動物には、「学習性行動」という性質があるようです。


「学習性行動」とは、もともと備わった「本能」とは別に、経験や学習によって行動が決められる、という性質です。


ベルの音と餌を関連付けて覚えた、有名な「パブロフの犬」が代表例です。

ベルが鳴るとエサがもらえる。

その行動を繰り返していったら、やがてベルの音を聞いただけで犬が唾液を出すようになった。

これは、「条件反射」と呼ばれる行動です。


パブロフの犬の場合は、ごく原始的な反応に近いものかも知れませんが、前述の2つのエピソード

「ブアメードの血」

「冷凍車の機械工」

これらはもう少し論理的です。


人間の「経験」や「常識」というもの

それらが、「思い込み」や「暗示」となって結果を連想させ、たとえ話ですが、自らの命をも失った話ということになります。

 

これらの悲惨な例とは別に、「思い込み」がプラスに働くと病気さえ治る、という事例があります。

 

プラシーボ効果

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「暗示」で病気が治る。

いわゆる「プラシーボ(プラセボ))効果」です。

 

偽の薬を投与しているのに、本当に症状が回復したり緩和したりする現象、これを「プラシーボ効果」と呼びます。

これには、「脳が」強く関係しているようです。

 

「プラシーボ」とは、元はラテン語で「喜ばせる」という意味だそうで、中世のフランスでも「治療が困難な病気にかかった患者を喜ばせて、苦しみを和らげること」とされていたようです。


この効果には、欲求が満たされたとき、または満たされる「期待」が持てるときには、「報酬中枢」という神経が働いて体が活性化し、快楽が発生するそうです。

そして、「快楽」や「期待」によって免疫力が高まるのです。

 


冒頭のエピソードでいうと、「好きな人に会える」という喜びが、それまでの体の不調を治します。

いや、治すどころか、さらに元気にしてパワーアップさせたのです。

顔まで笑ってしまい、もう仕事の憂鬱などどこかへ飛んで行ってしまいます(笑)。


これは、「本人の思い」によってもたらされるプラシーボ効果、と言ってもいいかもしれません。


心と体は、ここまで密接につながっているのです。

 

そして最後に紹介するのは、

「人を制限する力」

「人を解放する力」

です。

 

限界を突破する心の力

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かつて、フィンランドに、パーヴォ・ヌルミという優れた陸上競技の選手がいました。

彼は、1923年に1マイル(1.6km)を4分10秒という驚くべき速さで走り、世界新記録を樹立しました。

 

当時のマスコミは、この記録を「人間の限界」と書き立てました。

その言葉通り、その後いつまでもこの記録は破られませんでした。

 

しかし、その記録から「31年後」の1954年。

イギリス人のロジャー・バニスターという選手が、見事その記録を塗り替えました。

1マイルを、4分ジャストという快記録で走ったのです!



問題はその後です。



その同じ年に、なんと23人ものランナーが、今度はバニスターの記録を破って次々と記録を更新していったのです。

そして、その後11年間にわたり、実に100人のランナーによって「260回も」記録が更新され続けたのです。



これは、どういうことでしょうか?



31年もの間、ランナーたちはどうしても「人間の限界」が破れなかった。

しかし、あるとき壁を破った者が一人出現したとたんに、他のランナーたちも次々と記録を破るようになった


これは、「存在問題」と呼ばれる現象のようです。

ある「限界」を突破した者が一人出ると、その後は多くの者が、次々とそれまでの「限界」を突破してしまう。


最初に限界を超えた者が「それはできる」と証明したのです。

その結果、人々の頭の中から「できるわけがない」という思い込み・制止が消えていったのです。



人間には本来、どうしても、常識や観念に縛られて前に進む力を奪われる性質があるのかもしれません。

「存在問題」とは、それを破るきっかけなのでしょう。

 

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自分の「常識」から解放される

 

「存在問題」は、、日常のあらゆる場面に存在しますよね。


目標に向かって何かを始めるとき、前に進もうとしているとき。


「これ以上は無理だ」

「ここまでが限界だな」

「これ以上やった人などいないだろう(だからこれ以上は不可能だ)」


私たちは、そういう会話をしょっちゅう「自分自身と」しています(笑)。

しかし、誰かが「壁」を突破すると

「壁」であったものが、通行可能な「道」に変わる。


「限界」とは、多くの場合、これまでの経験や常識によって、自分が作り出しているものなのでしょう。

 

こう考えられるでしょうか。

誰かが新たに開拓したことを、自分がやってみるのもよし。

あるいは、自分が「最初の一人」になるのもよし。


自分の「常識」や「思い込み」から解放されることは、自分にとってとてつもない変革になるかもしれませんね。

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ではまた次回!

 

 

(冷凍車の機械工の話は「忘却からの帰還」サイトから、「プラシーボ効果」の話は「フォルツァスタイル」サイトから、「存在問題」の話は「ニーズ創造研究所」サイトから それぞれ抜粋・引用・加工しています)

 

 

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生きるために砂を掘るのか、砂を掘るために生きるのか

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男が懸命に、砂を掘っている。

家の周囲に溜まった砂を、スコップで黙々と掘っている。

掘った砂を、モッコと呼ばれる運搬用具に入れて運んでいく。

毎晩毎晩、寝不足になりながら、この作業を繰り返す

 

ここは海辺の砂丘。

砂丘の大きな窪地の底に、バラックのような木造家屋がある。

その家の前で、男がこうして砂を掻いている。


だがここは、彼の家ではない。

彼は、たまたま立ち寄った旅人だ。

 

掻いて運び出さないと、じわじわ押し寄せてくる砂で家が埋まってしまうのだ。

でも、客である彼がなぜ毎晩砂を掻いているのか?

それは、こんな顛末だった。

 

 
 
 
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今から何日か前。

教員の彼は、3日間の休暇をとって、趣味の昆虫採集のためにこの砂丘にやってきた。

新種のハンミョウ(昆虫)を探しに来たのだ。

採集に夢中になり、夕方になると、帰りのバスが終わっていた。


国道まで歩こうと思っていると、村人から、とある民家への宿泊を勧められた。

それがこの家だった。


この貧しい村は、一軒一軒の家が、まるで蟻地獄の巣ような砂の窪地の底に建っている

おそらく、飛砂(ひさ)を避けるためだろう。

窪地の家には、縄梯子で降りるようになっている。


※飛砂・・・海岸の砂浜や砂漠の砂が風によって移動する現象

 

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家には、一人の女が住んでいた。

彼はその夜、夕食を食べさせてもらい、眠りについた。

翌朝、金を払って発とうとすると、地上への縄梯子がない


上から縄梯子を下ろしてもらうよう女に伝えるが、女は答えず、ここの生活の話をする。

「ここでは人手が足りない」

「これから冬になり、砂嵐がやってくるが、女手一つでは乗り越えられない」


何を言っているのだ?

自分は今から帰るのだ。


男は問い詰めるが、女は目を背けるように「すみません」と繰り返す。


「すみません」だと?


驚きと恐怖を感じて、男は家を出てスコップで地上への道を作ろうとした。

しかし、砂に足を取られて上がれない

そして、掘った影響で砂の斜面全体が上から崩れてきた。


彼は、砂に溺れてもがいた。

砂の崩壊が大きくなり、危うく砂に飲まれそうになった。


ここから、自力では地上に上がれない。

彼は、この砂の家に閉じ込められてしまったのだ。

 

 
 
 
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不条理な世界を描く「砂の女」

この物語は、1964年に公開された勅使河原 宏(てしがはらひろし)監督の映画「砂の女」です。

原作は、阿部公房の同名の小説。

阿部公房は、シュルレアリスム小説の巨匠で、映画でも脚本を担当しています。


極めて生々しくリアルな、男女のやりとり。

極限まで研ぎ澄まされた情景描写とセリフ。

砂を背景とした官能的なシーンもあり、生きることを切り取って描いた大人の映画と言えるでしょう。

公開から55年以上経った今観ても、非常に前衛的な映画です。


「砂の女」の原作小説は、海外での評価が高く、ロシア語、デンマーク語ほか二十数か国語に翻訳され、1968年には、フランスで最優秀外国文学賞(英語版)を受賞しました。


ちなみに、「シュルレアリスム」とは、美術のダリやマグリットなどで知られるジャンルです。

現実の常識にとらわれず、作者の主観で自由な世界を表現する。

「超現実主義」と呼ばれるジャンルです。


(以下、映画の完全なネタバレを含みますので、ご了承ください)

 

 

なぜ砂の家に住むのか

電気も水道もなく、ランプが一つしかない砂の窪地の家。

砂に埋もれてしまうから、掘って掻き出して生きている。


生きるために砂を掘るのか
砂を掘るために生きるのか


わかりません。


なぜ、わざわざそんな場所に住むのか。

もっと別な場所に住めばよいのでないか。

誰もがそう思うでしょう。


しかし物語では、女や村人たちは、ここに根を下ろして生きています。


女の夫と中学生の娘は、昨年の大風で砂に飲まれてしまった。

二人の骨は、まだ砂に埋まったままです。

それでもここに住んでいる。


「ここが自分の家だから」


女はそう言います。


この物語では、「砂の女」や「砂の家」、そして奇妙なこの村全体が超現実の世界に感じられます。



 
 
 
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本質を浮き彫りにする物語

ムダを一切排除して本質だけを残していくと、ごく日常的なのに非現実的に見えることがあるように思います。

 


例えば、我々の毎日の生活。


毎日同じ時刻に起きて、朝食を食べて出かけ、夜になると戻ってきて夕食を食べて寝る。

もし部屋をカメラで撮って早回しで見てみると、自分はまるで判で押したような行動をとっていることでしょう。


機械のように、正確で規則的なパターンです。

7回のうち1回か2回、いつもと違う時間に起きるだけ。


何年もの間正確に続く、このパターン。

 


あるいは、昨今よく見かける風景も同様です。


誰もが常に、スマートフォンにかじりついて手放せない。

目の前に美しい風景が広がっていても、目の前に会話する人がいても、スマホをいじっている。


電車に乗れば、ほとんどの人がスマホにかかりきり。

車や自転車に乗っていても、スマホを見ながら運転をして事故を起こすほどです。


まるで人間が、スマホにつながれた歩くだけの生き物のようです。


こうしたごく普通の風景も、見方によってはシュールな風景に見えてきます。

 

 
 
 
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水を飲むために砂を掘る

男は、この監禁状態に抵抗するために女を縛り上げます

そして、いつもの砂掻きの仕事を女にやらせず、ストライキを起こし、村人に縄梯子を下ろすように仕向けます。


しかし、何日経っても縄梯子は下りて来ず、誰も助けには来ません。

村人は、黙って遠くから観察しているだけです。


そうしているうちに、溜めてあった瓶(かめ)の水が次第になくなっていきます


この村では、水も食料も「配給制」で与えられているのです。

砂掻きの仕事をすると、地上から、水や食料の配給品を下ろしてくれる。

でも、やらなければ配給されない。


「ちゃんと働かなければ生命の保証はできない」というわけです。


恐ろしい、奴隷のような状況です。


やがて水はなくなり、抵抗を続ける男も、男に縛られた女も、渇きに苦しみます。

そして、ついには音を上げて、男は「降参」の印の炎を掲げ、地上から水を下ろしてもらいました。


水を張ったバケツが下りてきたとき、男は、同様に渇きに苦しむ女を押しのけて、自分が先に水にかぶりつきます。

自分の命をつなぐための、生々しい人間の行動です。


こうして男は、観念して砂掻きをすることになったのです。

 

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水がないと人はどうなるのか

水を飲まないと、人はどうなるのでしょうか。


一般に、水と睡眠をとっていれば、食べなくても、人は2~3週間は生きられるようです。

しかし、水を一滴も飲まないと、4~5日程度で危険な状態に陥るとのこと。


体が脱水症状をおこすと、体温調節のための汗が出なくなり、体温が上昇します。

血液の流れが悪くなり、体内に老廃物が溜まって、全身の機能が障害を起こします。


体内の水分の20%が失われると、生きていけないのです。

体重が50kgの人なら、10kg(10リットル)の水分を失うと危険だということです。

 

カラスの罠を作る

男は、砂の家の生活に少しずつ慣れてきます。


人というのは、どんな環境でも飲み食いさえできれば、順応するものなのでしょうか。

いつしか、女と夫婦のような生活をしています。


時には、家から脱走しようと、下からカギのついた縄を投げてひっかけて、地上までよじ登りました。

しかし、砂丘を歩く途中で流砂にはまって溺れそうになり、村人に助けられて、また家に戻って来ました。


そうこうしているうちに、不思議と彼は村人たちともどこか親しくやり取りするようになっていきます。

 

でも、脱走のチャンスを諦めたわけではありません。


彼はあるとき、砂の中に樽(たる)を埋めてその上に新聞紙を貼り、カラスを捕まえるための罠を作ります。

カラスが餌のニボシくわえるや、新聞紙が破れて樽の中に落ちてしまう、という作戦です。


彼は、この罠でカラスを捕まえて、カラスの足に助けを呼ぶための手紙をつけるというのです。


「助けてくれ」と書いた手紙です。


まるで、伝書鳩のようなイメージです。

でも、利口なカラスは罠にはかかりません。


この作戦は失敗でした。


しかしそのうちに、彼はこの樽で予想外の驚くべきことを発見します。

 

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樽に溜まっていく水

彼が樽の中を確認したとき、中に水が溜まっているのを発見します。

舐めてみると、海水ではなく「真水」です。


ここ三週間以上雨は降っておらず、雨水が溜まったわけではない。

どうやらこれは、砂の地面に含まれる水分が毛細管現象で樽に染み出してきて溜まった水のようです。


思わぬ発見に、彼は驚きます。

「これで、水の心配はなくなるかもしれない!」

そして

「研究次第では、もっと効率のよい貯水装置が作れるかもしれないな」

彼は心躍らせて、ひそかに研究を続けます。

 

脱出のときはきた

同時に、もう一つの重大事が起こります。

突如、夜中に女が苦しみだしたのです。

いつもと違う様子です。


男が異変を感じて助けを呼ぶと、村の男が窪地に下りてきて様子を見るなり、言います。


「子供だな」


どうやら女は、男との子供を身ごもっているようです。

聞けば、以前から苦しんでいたとの事。

男にはわかりませんでした。


やがて、数名の村人たちが降りてきて、これまで2人だけだった家の中はにわかに騒然となります。

村人たちは、女を担いでモッコに乗せ、地上に引っ張り上げます。


騒動の中で、彼は村のリーダーに声をかけます。

しかし

「もうここから出してほしい」

そう言ったのではありません。


彼が手にしていたのは、貯水装置の研究ノート

何日にも渡って記録してきたものです。


彼は、貯水装置のことを村人に伝えたかったのです。


しかし、場合が場合だけに、彼は「いや、またそのうちに」と話すのをやめます。

もはや、逃げることを主張しません。

彼は、ここの生活を受け入れたのでしょうか。


やがて、村人たちみんなが、女を運んでいなくなります。

引き上げ忘れたのか、縄梯子が下ろされたままです。


彼は縄梯子を上って、地上に出ます。


地上には、誰一人いません。

荒涼とした砂丘だけが広がっています。

強い風が、砂を散らしています。


茫然と砂丘をさまよう、自由になった男。

しかし、その顔にはなぜか喜びがありません

 

 
 
 
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彼は、いつの間にか、砂の家に戻っています。

家の前の貯水装置を確認すると、たっぷりと水が溜まっています。

 

急いで逃げる気持ちは、消えています。

それよりも、

この貯水装置のことを誰かに話したい。


おそらく村の人だったら、この装置の価値がわかるだろう。

みんな水で苦労しているのだから。


装置のことを話したい気持ちで、いっぱいです。

逃げる手立ては、また今度考えればいい。

彼は、そう自分に呟きます。

 

失踪宣告で明かされる男の名前

最後に、裁判所の「失踪宣告」の用紙がうつります。


「七年以上生死不明のため 失踪者とする
不在者 仁木順平」


映画の最後で、男の名前が明かされます。

失踪して初めて「名前」が意味を持ったかのように。


果たして男は、砂の家に定着したのか、あるいはどこかで命を落としたのか。

それ以上のいっさいの説明はなく、映画は終わります。

 

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希望の味

原作と脚本を担当した阿部公房は、「砂の女」について、そして「自由」というものについて、次のように語っています。


「鳥のように飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって誰からも邪魔されまいと願う自由もある」


そして、こう述べています。


「砂を舐めてみなければ、
おそらく希望の味も分かるまい」


一つの解釈ではくくりきれない、象徴的な場面の連続。

ここでは、余計な評論は避けておきます。


昨今の映画に飽き飽きしている人には、たまにはこうした根源的で核心に迫る映画を、お勧めします。

日常の中の非日常を、是非味わってみてください!

 

 

ではまた次回!

 

 

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宇宙人とコンタクトしたときの対処法

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静かな夜の10:30。

あなたは今夜も、アマチュア無線で天体観測をしています。

スピーカーから聞こえる「ザーッ」というホワイトノイズ(雑音のような音)。

ふと、上空に「流星」が現れると、電波が流星に反射して高い音が聞こえます。

「ポーーーン・・・」

いわゆる「流星エコー」。
一度聞くと忘れない、印象的な音です。


一般に、宇宙の恒星や惑星などは様々な電波を発していて、この観測で木星や太陽の電波もキャッチすることができるのです。

こうして観測していると、あなたは宇宙の果てしない深さや、自分が地球という惑星にいることを実感します

仕事のことも、日常の事も、小さな悩み事も忘れてしまう、特別な時間です。

 

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・・・と、その時。
いつもと違う音が聞こえてきました。

これまでの天体の電波とは違う、非常に強く、連続した電波です。

波形を見ると、明らかに「規則的なパターン」です。

これは何だろう?
自然界ではありえない電波だ。


まさか、地球外知的生命体のシグナルをキャッチしてしまったのか?

そうだとするとすごいぞ!

あなたの鼓動が、一気に速くなってきました。

すごいけど・・・
これはいったい、どう対処したらよいのだろう

どこかに報告するべきなのか?

こんなことが起こるとは、思ってもみなかった。

 

落ち着け落ち着け。


まず、JAXA(宇宙航空研究開発機構)に連絡してみるか(したことないけど)。

いや、もう受付時間が終わっているかな。

翻訳ソフトを使って英文を書き、NASAにメールしてみるか。
うーん、きっとうまく書けないな ( ̄▽ ̄;)

SNSに投稿して、他人の反応を見てみるか?

いやいや、それでは主体性がなさすぎる・・・(T▽T)


でも、よく考えたら、これは 異星人の電波とは言い切れないんじゃないか?

人工衛星や、電波実験か何かの影響かもしれない。

それに、もし本物の宇宙からのメッセージだとしたら、どこかの大望遠鏡でキャッチされていて、既に報告がなされているはずだ。

記録だけして、寝てしまうか・・・。


そうして躊躇している間も、「人工的な電波」の音は誰かの返事を待つかのように、依然として強く鳴り続いています・・・。

 

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 (天体観測に詳しい方。観測の方法などに誤解があれば、ご容赦ください m(_ _)m

宇宙人とコンタクトしたときの対処法

もしも、あなたが宇宙の知的生命体とコンタクトしたら、いったいどう対処すればよいのでしょうか?

実は、その方法は、国際宇宙航行アカデミー(IAA)という機関で、世界的なルールとして規定されているのです。

それによると、「宇宙人からのメッセージ」の第一発見者は、最初に公表を行う権利を持つとともに、次のような行動を求められます。


興味のある人は、よく見てください(・_・)


発見者は

「すみやかに研究者や研究機関、国家当局にデータを提供して、他の望遠鏡を使って地球外生命体の存在の信憑性を確かめること」

そして

「確実に地球外生命体からのコンタクトだと考えられる場合、国際天文学連合(IAU)と国連の事務総長に(専用の連絡フォームで)連絡をする」

さらに

「国際科学会議(ICSU)など、指定された世界の各機関にも連絡を入れる」

・・・ということです。

 
いや、しかし・・・

「国家当局に提供」「世界の各機関に連絡」って、アメリカのアクションドラマじゃないんだから・・・( ̄▽ ̄;)

一般人には、こんな報告はなかなかできませんよね 。

まず僕は、連絡のための英語ができません (^-^;)

 

(以下、小説や映画などの完全なネタバレを含みますので、ご了承ください)

 

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火星人の来襲

人はこれまで、ずっと宇宙の知的生命体との遭遇を想像してきました。

宇宙人にまつわる小説や映画などは、数限りなく存在します。

例えば、地球を侵略しようとする宇宙人と人類との戦い。

例えば、宇宙の彼方の知的な存在から人類がメッセージをもらう話。

その時代や作者の視点によって、実にさまざまな物語があります。

 

古典的な代表作に、H・G・ウェルズの小説「宇宙戦争(1898年)」があります。

この小説は、2度にわたって映画化されました。

原題は「The War of the Worlds

ここでは「2つの世界同士の戦争」という意味のようです。


「宇宙戦争」では、火星人が地球にやってきて人類を滅ぼそうとします

正体不明の熱線を放ち、人も動物も建物も何もかも破壊しまくります。

火星人との対話の余地はなく、圧倒的な攻撃を受けて、人類は滅亡に向かっていきます。

ところが、物語のラストで、火星人は意外なことで全滅してしまうのです。


一体、何が彼らを倒したのか?


それは、地球に存在する「病原菌」でした。

人類とは違って、火星人は、地球の「病原菌」に対する免疫がなかった。

だから、地球にやってきた瞬間から彼らは死を迎える運命だった、というわけです。

この場合、人類は「地球」に救われたと言えるのでしょうか。

この物語の「火星人」とは、「侵略してくる武力」の象徴だったのかもしれません。


ところで、この「宇宙戦争」について現実に起こった驚くべきエピソードがあります。

 

 
 
 
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臨時ニュース、地球侵略のとき

1938年10月30日、アメリカのラジオで、あるドラマが放送されました。

「宇宙戦争」をラジオドラマ化したものでした。

このドラマの演出、そして演技者は、のちに映画監督の巨匠となるオーソン・ウェルズです。

このラジオドラマは、それまでにない斬新な手法で放送されました。

今まさに、地球で火星人の侵略が行なわれていて、「臨時ニュース」としてそれを放送している!という設定だったのです。

その巧みな演出と迫真の演技によって、リスナーの多くは本当に火星人の侵略が起こっていると信じてしまいました

信じた人々はパニックを起こし、全国の警察に膨大な量の問合せ電話があったといいます。

番組の開始直後と終了間際に「これはフィクションです」という「お断り」が流れたようですが、人々は聞きそびれてしまったのかもしれません。

そして、何よりもオーソン・ウェルズの演出と演技が卓越していたのでしょう。

 

 
 
 
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このとき、時代は第二次世界大戦前夜

ドイツや日本の台頭があり、世界的に緊張や不安が高まっていました。

こうした環境下で、人々はよりリアルに、この地球侵略のドラマをとらえたのかもしれません。

小説や映画、ドラマというものは、そのときの人間の心理を反映しやすいものなのかもしれませんね。

 

友好的な宇宙人との出会い

「宇宙戦争」以降、宇宙人に対するイメージは様々なバリエーションを持ち、「人類を攻撃する宇宙人」ばかりではなく、「純粋な宇宙人と人類との出会い」を描いた物語も現れました。


「宇宙戦争」から79年後。

スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「未知との遭遇」(1977年)は、実際の空飛ぶ円盤の目撃例を元にしたかのようなリアルな円盤の登場と、極めて真摯で純粋な宇宙人との遭遇を描きました。


原題は「Close Encounters of the Third Kind

第三種接近遭遇」と訳します。

 

 
 
 
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この呼び名は、天文学者であり、アメリカ空軍とのUFO調査計画に加わったジョーゼフ・アレン・ハイネック博士による、分類の名称です。


「第一種接近遭遇」

約150メートル以下の近さから、空飛ぶ円盤(未確認飛行物体)を目撃すること。

「第二種接近遭遇」

空飛ぶ円盤が、周囲に何かしらの影響を与えること。

例えば、地面に残した跡、人や動物への体感的な影響、電子機器への影響など。

そして「第三種接近遭遇」

空飛ぶ円盤の搭乗員と接触すること。

つまり、「宇宙人との接触」です。


これは本当の話ですが、映画「未知との遭遇」が日本の劇場で公開された当時、大変な話題を呼びました。

「立ち見」を含む超満員の観客が、宇宙人との接近遭遇を見ようと劇場に溢れかえっていました(今は「立ち見」はないでしょうが)。

物語のラストで、宇宙人と人類が手話でコミュニケーションをとるシーンがあるのですが、そのあまりの純粋な描き方に、感動で涙をすする観客がいました。

当時少年だった僕も、涙がじんわりと溢れてきたのを覚えています。

「We Are Not Alone」
(宇宙にいるのはわれわれだけではない)

これが「未知との遭遇」のキャッチコピーでした。

果たして、この宇宙に、人類に好意的な宇宙人がいるのかどうかわかりませんが、我々の多くは、宇宙の知的存在との友好的な出会いを望んでいるのではないでしょうか。

 

 
 
 
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なぜ、まだ宇宙人と出会っていないのか?

ところで、地球人はなぜ、まだ宇宙人と出会っていないのでしょうか?

出会っているという人もいますが、誰にでもわかる明確な「証拠」はおそらくまだないでしょう。

宇宙が誕生してから、138億年が経ったと考えられています。

この「宇宙年齢」の長さを考えて、宇宙の膨大な数の恒星(太陽のような星)のもとに、同じように地球のような惑星が存在する可能性があるとすれば、宇宙人は宇宙に広く存在しているはずだ

そして、少なくともそのうちのいくつかの種族は、地球にたどり着いていても不思議はない

それなのに、今まで宇宙の文明との接触の証拠が全くないということは矛盾したことではないか?

これは、1954年に他界したイタリア・ローマの物理学者エンリコ・フェルミによる「フェルミのパラドックス」という考え方です。


この疑問には、様々な議論や回答がなされてきました。

例えば、次のような回答がありますが、あなたにはどれが一番しっくりくるでしょうか?

 

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フェルミのパラドックスへの回答

【宇宙人は既に地球にいる】という説

宇宙人は存在していて、地球に潜伏しているか、地球の生命に「擬態」して正体を隠している。
(だから、いることに気づかない) 

宇宙人は、「ケイ素生物」や「意識生命体」など、地球人が「宇宙人」として認識できない形態の存在なのである。
(だから、いることに気づかない)

宇宙人は、別次元(例:五次元)に存在するため、地球人には認識できない。

※どこか、映画「メン・イン・ブラック」のような世界ですよね。

 

【宇宙人は最近やって来ていない】という説

宇宙人は過去に地球に来訪したが、最近は来訪していない。

過去に来訪していて、遺跡などに、その痕跡が残されている。
(古代の遺跡などに証拠がある)

 

【宇宙人は何らかの理由でまだやって来ていない】という説

知的生命体は、高度に発達すると異星の文明との接触を好まなくなる。
(だから地球に来ていない)

「地球上に起きる混乱を避ける」などの目的で、あえて目立った接触を行わない。
(だから地球に来ていない)

宇宙人による宇宙探査が行なわれているとしても、それははるか遠くで行っているため、「光速の壁」の問題に突き当たってまだ地球には達していない。

 

【宇宙人には恒星間空間に進出する技術がまだない】という説

宇宙人は、「恒星間空間に進出してさらに地球に辿り着くための技術上の問題」を突破できていない。
(だから地球に来ていない)

 

【そもそも宇宙人はいない】という説

地球以外に生命が発生する確率は、ゼロではないが、今のところ地球の生命が宇宙で「一番目に発生した生命」であり、二番目の生命はまだ登場していない。

あるいは、二番目の生命が、現在の地球の文明レベルよりも低い。
(だから地球に来ていない)

 

ごく一部ですが、「フェルミのパラドックス」に対してこういった回答・仮説があります。

あなたが納得できる仮説があったでしょうか?

 

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どの仮説が正しかったのか

フェルミのパラドックスへの回答は、未知のものに対してあらゆる可能性を探ろうとしていて、どれも興味深いです。

知らないもの、未知のものを頭ごなしに判断したり否定せず、そして自分の常識にとらわれず、想像の羽を広げるのは意味のあることですよね。

そしていつか、どの仮説が正しかったのか、あるいは近かったのかが、証明される日が来るのでしょうか。

我々が生きている間にその日が来てほしいような、でも、本当に来るとなるとちょっと怖いような・・・ (〃▽〃)


願わくば、宇宙人と地球人が友好的に交流できる場面が訪れることを、祈るばかりです。

 

ではまた次回!

 

 (国際宇宙航行アカデミー(IAA)の規定については、Declaration of Principles Concerning Activities Following the Detection of Extraterrestrial Intelligenceの文献から、「フェルミのパラドックス」の内容は、ウィキペディア(Wikipedia)から抜粋・引用・加工しています)

 

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あなたは今「させられ脳」「したい脳」?デキる人は「脳」をこう使う

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今、僕の目の前に、仕事が山積みになっています!(゜Д゜;)


半年以内に取り組む課題

今週中に処理すること

そして、今すぐにやらなければならない仕事!


もっとも、僕の仕事はWeb作業ですから、本物の書類の山がうずたかく積まれているわけではありません。

全てパソコンの中の世界です。


今、爽やかな朝の10:00。

オフィスで、同僚と一緒にそれぞれの作業をしています。


さて、まずは「今すぐ」の仕事から取り掛かります。
「今すぐ仕事」は馴れた作業が多いので、大して悩むことも考えることもなく (^-^:)、サクサク進みます。

 

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ところが・・・


「今すぐ仕事」が終わったら、手が止まってしまいました。

次にやるのは、今週中や半年以内に処理する仕事。

これらの仕事は、よく考えて整理し、試行錯誤しながら進めていくものです。


その前で、止まってしまったのです。

まるで、スピードにのっていた急行電車が急停車したかのようです。


何のことはない。

「気が乗らない」
「面倒だ」

そう感じて、やる気がしぼんでしまったのです。


しかし、傍らでは同僚がスイスイ動き回り、シャキシャキと仕事を進めています!

僕と同じこをとしているのに。

同じように、面倒な仕事も抱えているのに!


でも、それもそのはずです。

彼はいわゆる「デキる人」なのです。


その証拠に、彼は生き生きとしてハツラツと作業しています!(*○*)

僕は鬱々として、しかめ面で腕組みしています。


いや、これは仕方がない。

彼と僕とでは「能力」が違うのだ。


彼は「デキる人」だから、ラクラクと進められるのだ。

僕は凡人だから、彼のようにスイスイとはいかない。

彼と僕とでは、脳みそのデキが違うのだ。


そう思うと、僕は、何だか意気消沈してきました(T▽T)


しかし・・・
この、同僚と僕との差。


この一見「大きな差」は、実は意外にも小さな差であり、しかも、変えることのできる差だったのです。


彼と僕の行動の違いは、「脳の使い方」にありました。

 

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みんな同じ脳からスタートしている

今のエピソードは、「脳」について考えるための例え話で、僕の日常風景ではありません。

「デキる彼」というのも架空の人物です。

もっとも、自分の脳みそのデキに多少疑問があるのは事実ですが・・・ (^-^:)

 

さて、デキる人とそうでない人は、実は「どちらも同じ脳の状態からスタートしている

そう説くのは、医学博士の加藤俊徳先生です。

同じ状態とはすなわち、「人の脳は本来めんどくさがりやだ」ということです。


加藤先生は脳の専門家で、株式会社「脳の学校」の代表です。

彼はなんと、14歳のとき、陸上競技の練習中に「脳だ、体を動かしている脳に秘密がある」と直感したのだそうです!


やがて「脳を鍛える方法」を知るために、医学部へ進みました。

MRIによる脳画像で脳を研究したり、独自の脳のトレーニングメソッドを開発してきました。


今回は、彼の著書『「めんどくさい」がなくなる脳』で説かれている「脳」の秘密を探っていきます。

 

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脳は負担がかかることを嫌う

加藤先生によると、「脳」はめんどくさがりやであり「負担がかかること」を嫌います。


例えば、疲れているとき、眠いとき、不機嫌なときには、脳の処理能力が落ちます。

これはよくわかりますね (^-^)

眠いときは、ものごとを考えたくはありません。

不機嫌なときは、不満やイライラが頭を占めてしまうでしょう。


また、初めてのことをするときや、苦手意識のあることをするときには、やはり、脳の処理速度が落ちます。

脳がフリーズしてしまいます。

日常生活で、しょっちゅうあることですよね。


誰でも、初めてのことや苦手なことはなるべく避けて、慣れたことをしようとする場合が多いでしょう。

その方が事が早く終わるし、気が楽ですから。


「脳」はめんどくさいと感じると、より楽な方、より慣れた方法を選ぶ傾向があるのです。

これが本来の脳の性質で、デキる人もそうでない人も、最初はこうした「めんどくさがりやの脳」からスタートしているのです。


ところが、デキる人はそこから先が少し違います

 

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「楽しいこと、したいこと」を脳は喜ぶ

「脳」の「めんどくさがり」には、例外があります。

それは「楽しいこと、したいこと」をするときです。

「楽しいこと、したいこと」をするとき、脳は喜び、効率よく働いて、疲れにくい

加藤先生はそう説きます。


「工作なら何時間でもできる」

「気がつけば一日中読書をしていた」

そういう場合がまさにそれでしょう。


これを仕事に置き換えると、効率よく仕事に取り組むには「その仕事が楽しければいい」ということになります。


ところが・・・


目の前の仕事が、いつも楽しいとは限りません。

嫌いな作業、不慣れな仕事をやらなきゃいけないこともあります。

現実には、その方が多いかもしれません。


そこで、あなたは思うでしょう。

デキるやつは、そんなときにどうしているんだ?

 

「したくないこと」を「したいこと」に変える

デキる人は、「したくないこと」を「したいこと」に変えている。

加藤先生はそう説きます。


「したくないこと」を無理に続けていると、仕事ははかどらず、質も落ちてきます。

その一方で「したいこと」をしていると、脳は効率よく動き、作業は楽しく早く、しかも高品質で終わるでしょう。


だから、デキる人は「脳」を操縦するのです。
 

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「脳」を操縦する方法

加藤先生によると、「脳」の喜ばせ方、つまり、効率の良い脳の操縦方法はいくつかあります。


方法その1「手順を決める」

脳がめんどくさいと思う理由に、その仕事の「やり方がわからない」「整理ができない」ということがあります。

どうしてよいかが見えないため、めんどくさくなり、投げ出してしまうのです。


これをクリアするには、まずその仕事の内容を理解した後に、作業を分解してみて、できることと、できないことに分けます

できないことは、人に頼んで(あるいはいったん放っておいて)できることを始めていく、などの進め方をしてみます。


こうして、内容を理解・整理して手順をはっきりさせていくことで、脳の負担を軽くして作業を始めることができるのです。


方法その2「成果を見る」

脳の大好物に、「達成感」というものがあります。

「できた!」というやつですね。


この「達成感」という飴玉を脳にあげることで脳を喜ばせてあげて、「めんどくさい」を排除するのです。

成感を感じるためには、「必ず達成できるレベル」「成果を見ることができるレベル」そこまで作業を分解していくのがポイントです。

作業が長大すぎて、できるかどうかわからないというレベルではいけません。


「脳」が嫌がってしまいますから。

 

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方法その3「体を動かす」

「体を動かす」ことで、脳の「めんどくさいを」排除します。

これには医学的な根拠があるようです。


脳の中で「運動」を司る部分は、思考系、伝達系を司る部分の近く(前頭葉)にあるそうです。

だから、運動するとそれにつられて思考系、伝達系のスイッチも入っていくというのです。

激しい運動でなくても、小さな運動でも効果があるのです。

朝のちょっとした運動、作業中の小さな運動などで脳をうまくリフレッシュでして「めんどくさい」を排除できるようです。


方法その4「準備の時間にする」

これはどういうことかというと、最初からガッツリ作業をしようと意気込むと「脳」に負担が大きいということです。

その逆に、「今は準備だけだ」と考えると「脳」がめんどくさいと感じにくいのです。


まあ、いい意味で「脳」を騙すということでしょうか (^-^)

しかも、しっかり準備できているものに対しては脳は負担を感じにくいので、その後の作業開始のときにもはかどりやすいです。


実際よくあるのが、以下のような例です。


「今は準備だけだ」と考えて準備をする。

そして、準備ができてみると「一つだけやってみようか」という気になる。

やがてもっと進んでしまい「3分の1やったのだから半分やってしまおう」と思えてくる。

気がつくと、何のストレスもなく最後までやってしまった。


こういう展開も珍しくないと思います。


こうして、間違ってやってしまえばOKだし(笑)、予定通り準備だけで終わったとしても、次回すぐに始められるから、それはそれでOK。

どっちに転んでもOKな作戦です。


言うなれば、始めるときの「軽くていい加減な心構え」が大事でしょうか (^-^)

「まじめすぎて重い心構え」だと、なかなか始まりません。


「脳」が負担に感じるからです。

 

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方法その5「お気に入りの環境を作る」

「お気に入りの環境を作る」とは、「脳」にとって一番心地よい環境を作ってあげるということです。

例えば、お気に入りのカフェに行って、いつもの席に座り、いつものカフェラテを飲む。

窓の外の木漏れ日を見ながら、かすかに流れる音楽を聞き、誰にも邪魔されない時間でゆったりと作業をする。


「脳」は喜んでくれて、「したい脳」に変身し、強力なパワーを出してくれます。

 

デキる人は無意識に仕掛けを作っている

以上は、加藤先生の提唱する「脳」の喜ばせ方の例です。

他にも、人それぞれに「脳」を喜ばせてうまく操縦する方法はたくさんあるでしょう。

デキる人は、そうした工夫を、無意識のうちにしているのではないでしょうか。


デキる人はきっと、誰よりも「脳がめんどくさがりやだ」ということを知っているのです。


放っておくと脳は動かないものだ。

「脳」の言うがままにしていると、仕事が進まないばかりか、行動範囲が狭くなり可能性も小さくなってしまう。

そういうことを、誰よりも認識しているのだと思います。


だから自分のマインドで、それを変えているのです。

 

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「させられ脳」ではなく、「したい脳」になるように仕掛けを作る。


ときには、面倒なことを自ら請け負ってそれをこなしてみる。

それによって、自分も知らなかった「脳」の新しい面を発見して、少しずつ世界を広げることになる。

そんな「工夫力」を、持っているのではないでしょうか。


ただしそれは、「天から与えられた特別な力である」とは言えません。

もっと身近なことに秘密があると思います。


考え方を少しだけ変える柔軟性があるかどうか。

すぐ行動に移してみるフットワークがあるかどうか。

努力を怠らない気持ちがあるかどうか。

そして、自分の「脳」の力を信じられるかどうか。


こうしたことが、「脳」を操縦する「鍵」になるのではないでしょうか。


さて、僕も、疲れてフリーズした「脳」をリフレッシュして、「したい脳」に変えるために、その辺を歩いてきます (^-^)

 

 

ではまた次回!

 


(当記事の脳についての知識・見解は、加藤俊徳先生の著書『「めんどくさい」がなくなる脳』より抜粋・引用・調整しています)

 

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42歳の幼児|空をかけめぐって戦った男の絶望と奇跡

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2001年7月8日。

アメリカ、コネティカット州のリハビリテーション施設。

一人の男が、スタッフの助けを借りながら、プールに浮かんでいた。

 

首に浮き輪、腰には救命ベルトをつけている。

周囲には、家族や理学療法士、ドキュメンタリー映画のクルー、その他関係者たち、大勢の人々が固唾を呑んで男の動向を見守っている。

 

彼の足首に重りが付けられ、胸の辺りまで水中に沈んだ。

このまま力を入れて膝を伸ばせば、水中で立ち上がることになる。

 

理学療法士が聞いた。
立ってみますか?

 

男は答えた。
もちろん


準備が整うと、彼は心の中で自分自身に「ゴー」サインを出した。

脳が「立つのだ」という指令を出すと、筋肉が緊張して膝が伸びた。

 
身長192cmの男は、水中で直立した。

 
みんなが、まるで月ロケットの打ち上げ成功のときのように、歓声を上げた。


これは何事なのだろう?

 

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男の挑戦は、まだ終わっていない。

肝心なのはここからだ。

 
理学療法士が言った。

「全体重を右足に移してください。そして、左足を前に蹴ってください」

男は左足を前に蹴ってみる。

自分の目で、左足が前に出たのが見えた。


できた!


「今度は左足に体重をかけて、右足を蹴ってください」

これを続けるうちに、彼の「体」は、今何をすべきなのかを覚えていった。


歩くこと


それは、彼にとって全く不可能なはずのことだった。

 

以前彼は、事故で「四肢麻痺」となり首から下が全て麻痺した。

何年もの間、手足の動作はできず、感覚すらなかった。

しかし、不屈の努力と訓練の末に、水中でだが、初めて自力で歩くことができたのだ!

 

男の名前は、クリストファー・リーブ。

「スーパーマン」を演じた俳優です。

映画シリーズ4本に渡り、空をかけめぐって戦い、地球を守った男です。


今回は、以前公開した「飛べなくなったスーパーマン」の続編です。

 

www.instagram.com

 

人体という精密機械

人間の体はいわば、精密機械のようなものです。

我々が想像するよりも、はるかに複雑でデリケートです。

 

体を調整する部品が失われたり、故障してしまうと、それまでは当たり前のように動いていた体が、動かなくなることがあります。

息をするのも

食べるのも

排泄するのも

起き上がるのも

全て脳と体が綿密に連携して、動作しているのです。

 

脳と体の連携が失われたとき、我々はいったいどうなってしまうのか。

 

「プールの奇跡」から遡ること6年前。

当時42歳のクリストファー・リーブは、落馬事故によって頚椎を損傷し、首から下が全く動かず、感覚もなくなりました。


自力で呼吸ができません。


おそらく、生涯にわたって、生命維持のケアに頼って生きていくしかない。

二度と、自力で手足を動かすことはできない。

それが、一般の医師の見解でした。

 

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42歳の幼児

事故後のリーブの日常は、こんな様子です。

 
リハビリセンターでは、一日一度病室から「娯楽室」に移動するという日課がありました。

お見舞いの人に会ったり、家族に手紙を読んでもらうためです。

そしてこの移動が、とてつもない大冒険だったのです。


「娯楽室」に行くには、車椅子に乗る必要があります。

そのためには、まず「上半身を起こす」のですが、いったい彼にどんなプロセスが必要なのかわかるでしょうか。


看護士と理学療法士が、彼の頭と首を硬い輪に固定します。

胴体のほとんどを、補強用帯布でぐるぐる巻きにします。

これは、起き上がったときに血圧が下がるのを防ぐためです。

 
次に、プラスティックシートを体の下に敷き、体を横向きに転がしてもらい、シートを定位置に滑らせてもらう。

 
問題はここからです。

 
ベッドの上で、徐々に座った姿勢になるように体を起こされていく。

血圧は、90秒ごとにモニターされます。

このとき、途中で気を失うことがあるのです

そうすると、再開まで10~15分は待つことになります。


調子が悪いときにはこれを2~3度試し、調子が良いときは、血圧が落ち着いたまま20分ほどで起き上がれることもあります。

起き上がれたら、ようやくゆっくりと車椅子に体を収めてもらう。

そして、やっと「娯楽室」に向かうのです。


毎回、こうした複雑極まりないプロセスが必要なのです。


健常者は、この「起き上がり、座る」という動作を、自分の体の調整と筋力で、さして意識することなく行なっていますよね。

 

こうして、日常の最低限の営みをするにも誰かに頼らなければならない

リーブは自身のことを、こう思っていました。

麻痺によって、自分は「42歳の幼児」に変身してしまった、と。

 

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希望と絶望の日々

事故直後の彼は、希望と絶望が入り混じった状態でした。

 

「大丈夫、やがて良くなるはずだ。」

「これまで自分は、どんな怪我も病気も乗り越えてきた。だから、この麻痺を
乗り越えられないわけがない」

一生動けなくなるなんて、あるわけがないし、そんなことはとても受け入れられない


しかし、状況を知るにつれて、それが紛れもない現実であること、そして事態が深刻であることを、理解していったのです。


リーブは、やり場のない絶望と怒りに翻弄されました。

 
「一体これまで自分が、どんな悪いことをしたというのか?」

「なぜ、自分だけがこんな「罰」を受けなければならないのか」

 
そして、自殺願望にとりつかれました。

 

もう、死なせてもらったほうがいい

リーブは、妻のディナにそう言いました。

 

そのとき、ディナは大きなショックを受けながらもこう言いました。

「私はあなたの意思を尊重する」

「でも、覚えておいてほしい。私は何があってもあなたのそばにいる」

あなたはあなたのままだもの


さらに、こう言ったのです。


少なくとも、2年間待ちましょう

「もし2年後にどうしても考えが変わらないのであれば、あなたの望みどおりになる方法を検討しましょう」


賢明なディナは、2年経ったらリーブがどういう答えを出すのか、わかっていたのです。

そして、今は沸騰したリーブの気持ちを少しでも冷やそう、と思ったのでしょう。

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そこにいるだけで意味がある

リーブは、家族の人生をも変えてしまうことに憤りを感じていました。

特に、子供たちのことです。

二度と動くことのできない自分が、幼い3人の子供たちをどう導いていけるというのか。


もはや、自分は満足な「父親」とはいえないだろう。


いやそれどころか、子ともたちが「生涯麻痺」という事実に衝撃を受けたり、トラウマになったりしないだろうか。

深く憂慮しました。

 

しかし、現実は彼の想像とは少し違いました。

 

子供たちは、しょっちゅうリハビリセンターの父・リーブに会いに来るのです。

リーブは、子供たちにこう言いました。

「私は大丈夫だから、こんな気分が滅入るようなところから出て、外で楽しんで来なさい」

何度も、子供たちにそう言い聞かせました。

しかし子供たちは、たとえ面会時間が2~3時間しかなくても、彼と一緒にいたいと言いました。

 

帰ろうとしないのです。

 

やがて、子供と接しているうちに、彼は気づきました。

自分はかつて、こんなにも子供たちと話をしたことがあっただろうか

 

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今まで彼は、旅行やスポーツ、冒険、何かの日常的な行事など、子供たちと行動を共にし一緒に体験することで、心を通わせ、教えたり、導いたり、楽しんだりしてきました。

それまで、彼のアイデンティティは行動や活動で示すものでした。


しかし、今は動くことができません。

行動で示すことはできません。


にもかかわらず「そこにいるだけで」子供たちにとって意味のある存在になっていたのです。


子供たちといるとき、リーブはかつてないほど子供たちの言葉に耳を傾けました。

子供たちは、リーブの発する言葉ひとつひとつに、影響を受けていました。


「すること」ばかりではなく
「そこにいること」が大事なのだ。

彼は初めて、そう感じたのです。

彼にとって、それはまったく思いもよらないことでした。


リーブは、こうして妻や子供たち、医師や友人たちによって自殺願望から遠ざかり、生きる方向に目を向かされていったのです。

 

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左手の奇跡

奇跡は、左手の人差し指に起こりました。


落馬事故から5年後の2000年。

リーブとディナが話しているとき、ディナはリーブの左手の人差し指が動いているのに気づきました。


それまでも、彼の体の一部が動くことは珍しくなかったようですが、脳と体が連携していないので、それは意思とは関係ない動きです。

だから、その左手の指の動きをディナがたずねると、やはり意識的なものではなく、無意識に動いていただけということがわかりました。


そのとき、ディナはふと言いました。

じゃあ、意識して動かせるかどうかやってみて


今のリーブには、脳の命令で指を動かすのはできないことです。

だから、これは2人にとってできてもできなくてもいい、ただのゲームでした。


リーブは、左手の人差し指を見つめて精神を集中しました。

真剣に、精神と体の関係を作ろうと、一心不乱に指を凝視しました。


「動け!」


ついに彼はそう叫びました。

すると、先端から第一関節までが上下に動き、リズム良く肘掛を叩いたのです!


2人とも、信じられない思いで見守っています。


そして再び精神を集中し

「止まれ!」と叫びました。


すると、指は止まりました。


ディナは椅子から飛び上がり、彼の近くに行って再び観察しました。

2度目を行い、成功しました。

3度目はディナが合図を出し、これも成功しました。

4度目は、リーブが目を閉じた状態でディナが合図を出し、これも成功したのです。


しっかりとリーブを抱きしめた彼女の目には、涙が浮かんでいました。


近くで待機していた看護士長も、その知らせを聞いた担当医も、事の顛末に正気を失っていました。

ありえないことが起こったのです。


そしてその後、詳しい検査が行なわれました


果たして、指に「感触」が戻っていたのか、あるいは感覚はないまま動作だけができたのか、それは不明です。

しかし、動くはずのない体を、意思によって動かすことができたのです。


担当医たちは、この奇跡の現象に、我を忘れるほどに興奮したようです。

 

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観衆(医師たち)の前で

その後、彼は医師たち(観衆)に、さらなるパフォーマンスを見せつけました。

人差し指だけではなく、左手の「全ての指」を動かして見せ、さらに、肘掛から垂れている右手首を水平になるまで持ち上げました(!)

そしてさらに、手首を曲げて、手を完全に上に持ち上げたのです。


ただしこれらは、決して「軽々と」できたのではなく、とてつもない集中力とエネルギーをつぎ込んで成し遂げたものでした。


「プールの奇跡」は、それから1年後のことでした。


彼が52歳で亡くなるまで、ついに自力で立ち上がること、そして歩くことはできせんでした。

しかし、指や手の動作やプールでの水中歩行は、医師たちを驚愕させた出来事でした。

 

我々は「麻痺ゾーン」に生きている

リーブは言います。


障害があろうが健常者であろうが、我々の多くは「麻痺ゾーン」に生きている。


ここでいう「麻痺ゾーン」とは、次のようなことです。

憂鬱というわけではないが、何事にも興味を呼び起こされず、儀式のように同じことを繰り返し受けながら、一日また一日と過ごしていく状態


問題なのは、もしそのゾーンに長い間はまってしまうと、人生に意味を見出せない状態に取り込まれる、ということ。

そして、その「麻痺ゾーン」が危険なほどに心地よくなるということだ。


リーブの言葉です。

 

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リーブが飛んで行った場所

体は動かないけれど、リーブは精神力で突き抜けました。

できるところまで、歩けるところまで、とにかく歩いたのです。


腐ったり、投げやりになったことなど、数え切れないほどあったことでしょう。

それでもまた、「情熱ゾーン」に飛んで行ったのです。

それは、彼が四肢麻痺の状態で生きていく、ただ一つの方法だったのかもしれません。


彼のエネルギーを、きっと我々も見習うことができるでしょう。

自分でフタをしたままの、まだ見ぬ大きな可能性が、我々にもきっとあるはずです。

 

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ではまた次回!

 

 

(クリストファー・リーブの実話およびストーリーは、本人の著書「Nothing Is Impossible(邦題:あなたは生きているだけで意味がある)」より抜粋・引用 調整しています)

 

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日本一不親切な介護施設|非常識力で道を切り開け!

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僕の父は生前、近所のデイサービスに何度か通ったことがありました。

「何度か」というのは、たった3・4回で行くのをやめてしまったのです。


父は、ヘルパーさんの訪問を受けながら一人暮らしをしていました。

おおよそ、生活全般のことは自分でまかなっていました。


だから、デイサービスに行くのは、介護する家族を休ませるためではなく、行っても行かなくても別に誰も困らない、という状態でした。

気が向いたら行く、というスタンスだったのです。

※デイサービスとは、日帰りで短時間介護を受けられる施設のサービスです。


サラリーマンだった父は、仕事一筋の人生でした。

だから、仕事を引退したことと母(妻)を先に失くしたことで、生活に張りを失っていました。

近所の散歩も次第に行かなくなり、知人と会う機会も減っていき、一日中家にいて、テレビばかり見るようになっていきました。


そんな父を見て、

少しでも人と触れる機会を持ったほうがいいです

ケアマネージャーが、そうアドバイスしてくれました。
当然、僕も賛成でした。

その一環が、デイサービスだったというわけです。

 

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デイサービスでは、お昼ごはんを食べて、マッサージを受けて帰ってくる。

それだけの利用でした。

はじめは、「マッサージが気持ちいい」と、そこそこ気に入った風に言っていたのですが、3・4回で行くのをやめてしまいました。


なぜやめてしまったのか?


本人は、はっきりとした理由を言いませんでしたが、そのデイサービスに下見や契約で行ったことがあり、そして父の性格を知る僕には、やめた理由が想像できました。

 
※今回は、介護施設などの話題に触れますが、介護する方、される方、介護業務に携わる方に対して、決めつけた見解や一方的な批判をするものではないことを、予めお断りしておきます。

 

f:id:wakaru-web:20190906080232j:plain亡くなる前年の父

年寄り扱いされたくないから


「年寄り扱いされたくないから」


それが、父がデイサービス通いをやめた理由だったと思います。


でも、これは矛盾していますよね (^-^:)


だって、歳をとって施設でお世話になれば、心身ともに高齢者として扱ってもらう。

だから、食事も入浴も運動も、高齢者としてのケアを受けられる。

そこに集まる人は高齢者だし、そこに行った父も高齢者です。


年寄り扱いされるのは、あたりまえですよね。


でも、父の性格を考えてみると、おそらくその状況が耐えられなかったのだと思います。

確かに自分は引退した(仕事は退職し、社会的なつながりも少なくなった)。

でも、だからといって、あからさまに無力な老人のように扱われたくはない。

言い換えると、「一人前の人として扱われなくなるのはいやだ」そう感じたのだと思います。

(その施設で一人前に扱われなかった、という意味ではありません。父の受け止め方の想像です)

 

f:id:wakaru-web:20190906080505j:plain亡くなる前年の父


父は、生活の意欲は失ったけど、そうしたプライドは高かったのかもしれません。

でも、施設には、プライド以前にもっとお世話の必要な方が、介助を受けにやって来ます。

そうした人に比べて、父にはまだ好き嫌いを言う余裕があったということです。


父はそれから約3年後に、他界しました。

肺の疾患のためです。


父は、認知症が始まっていて、父と僕は激しくぶつかったことが何度もありましたが、今となっては、僕がもっと理解ある態度で接しられなかったものか、と思うばかりです。

父が亡くなってから5年が経ち、そのころの思い出は、ものすごいスピードでどんどん遠ざかっていきます。

 

f:id:wakaru-web:20190906080417j:plain亡くなる前年の父

日本一不親切な介護施設

ところで、おそらく父が感じたことと似たものと思われる「介護施設の空気」を書いた本がありました。


「思考のリミッターをはずす非常識力」
~日本一不親切な介護施設に行列ができる理由~

二神雅一(ふたがみ まさかず)という人の著書です。


二神氏とは、岡山県を中心に70を超える事業所を展開して、介護ビジネスを運営する人です。

僕は、タイトルにひかれてこの本を読んだのですが、この二神氏が日本でおそらく初めて「不親切な介護施設」を設立したというお話です。


「不親切な介護施設」
これは一体何なんでしょう?


もしかして・・・


利用者に対して、ものすごい失礼をはたらくのでしょうか?
(昨今では冗談になりませんね )

想像を超えた、法外な料金を取るのでしょうか?

スタッフの人たちに、全く一般常識がないのでしょうか?


いずれの予想も違いました。


「不親切」というのは、次のようなことでした。

  • 車椅子に乗っている人から、車椅子を取り上げる(車椅子に座らせない)。
  • 施設には、わざと手すりをつけない。
  • 施設に段差や坂道を設けて、「バリアフリー」ではなく「バリアありー」にする。
  • 高齢の要介護者の人に農作業をさせる(そのための土地を持っているそうです)。

「不親切」とは、こういったことです。


今では、こうした方針を取り入れる施設も各地で増えているようですが、二神氏が始めたころは他になかったそうです。

 

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これらの「不親切」。

当時は、介護施設の常識から言うとまさに「非常識」な、ケアマネージャーが聞いて卒倒しそうな内容、だったそうです。

なぜなら、介護施設の常識では、利用者は安全に丁寧に扱われるであろうからです。


一般に、介護施設の「常識」は次のようなことのようです。

  • 利用者(高齢者)に無理がかからないように、施設は全てバリアフリーにして
  • 利用者の安静・安泰を保ち
  • 負荷のかからないレクリエーションやごく軽い運動をする
  • スタッフは親切で気を配ったお世話をする

※実際に、バリアフリーにしないと、施設を運営する許可が下りないそうです。

 

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バリアフリーが人を弱らせる

しかし、二神氏はこう説きます。


一度車椅子のクセがついた人は、自分の力で歩けなくなってしまう。

なぜなら、車椅子に乗っている間に、歩くのに必要な足腰の筋肉がどんどん弱っていくから。

最後には、本当に歩けなくなってしまうのだ。


今や常識である施設のバリアフリーも、その環境に慣れてしまうとバリアのある実生活に適応できなくなってしまう

転倒の危険性も高まってくる。

そして、外界の環境に適応できなくなり、家に閉じこもるようになる。

孫に会いに行くにも、知人に会うにも、どこに行ってもバリアはあるからだ。


バリアを避けることで活動が低下して、機能低下、寝たきり、そして認知症になる危険性が著しく高まるという。

閉ざされた環境にこもる事で、心の元気も失われていく。


つまり
「バリアフリーが人を弱らせる」
ということです。


誤解なきよう補足しますが、もちろん歩けない人は車椅子を使うでしょうし、段差を超えられない人は、バリアフリーの範囲で生活するでしょう。

そこから無理やり環境を変える、車椅子を奪う、という意味ではありません。

利用者の状態を見ながら、十分に危険を回避して行なうことです。


言いたいのは、施設の安全で何不自由ない環境に浸りきると、それまでできていたことができなくなってしまう危険がある、ということです。

そして、一般の介護施設はそれを助長する傾向にある、ということです。

実際に、二神氏の施設でも、歩けない人をお世話することはしないそうです。

最低限、車椅子なしでいられる人を対象としているそうです。

 

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非常識力で道を切り開く

二神氏は、裸一貫で介護事業を立ち上げました。

そして、「リハビリ付きデイサービス」を始めました。

当時、周りにはそのような施設はなく、彼の施設は常識を覆すものでした。


どういうことかというと・・・


その当時のデイサービスは、食事とお風呂を提供して、余った時間に歌を歌ったり子供がするようなお遊戯をしたり、という内容だったそうです。

心身機能を回復するようなプログラムは、なかったとのこと。

部屋の飾りつけも、幼児向けの折り紙などで作られ、まるで保育園や幼稚園のようだったといいます。

だから、特に男性の高齢者たちは「幼児が行くような所には行きたくない」と言う人が多かったそうです。


しかしそれでも、彼らはデイサービスに行きました。

その理由は、次のようなことでした。


「家にいると家族に迷惑をかける」
「家には自分の居場所がない」
「他に行ける場所がない」

こうして、仕方なく、デイサービスに来ていた人たちが多かったそうです。


胸が詰まりますね。

 

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無いなら作ればいい

「リハビリ特化型デイサービス」を始める前、もともと二神氏は「リハビリ訪問」という業務をしていました。

高齢者のお宅に伺って、リハビリをするサービスです。

 

これを続けていると、高齢者の人は心身ともに機能が回復して、外に出られるようになりました

ところが、外に出るようになって一般のデイサービスに行くようになると、なぜか心身の機能が低下してきてしまうのです。

その理由は、前述の通り、デイサービスに行くと、心身の機能回復よりおとなしくて害のない、お遊戯や手遊び、カラオケなどのレクリエーションばかりしていたためです。


せっかく回復した機能が、また失われている。

これはいけない!

何とかしなくてはならない!


考えたあげく、二神氏は、周囲では前例のない「リハビリ特化型デイサービス」を作る決心をしたのです。


利用者が宣伝をしてくれた

前例がない施設でした。


最初は資金繰りも苦しく、理解を得られるのにも時間がかかりましたが、徐々に支持を得ていったそうです。

一番良い反応があったのは、「幼児が行くような所には行きたくない」と言っていた男性の高齢者たちだったそうです。

彼らが、「リハビリ特化型デイサービス」を認めて、通いに来たのです。

そして、彼ら利用者たちが、病院や知人に宣伝をしてこのサービスを広めてくれたそうです。

 

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お茶はご自分でどうぞ

その後、二神氏には、失敗もあり、紆余曲折もあり、会社が潰れそうになったこともあったようです。

しかし、壁にぶつかったとき、二神氏が常に考えたのは

「何のためにやるのか」

ということでした。


事業ですから、もちろん倒産してはいけません。

当然、事業を継続するためにできることをやるのですが

やはり、根本の軸は

「利用者のためにやる」

ということでした。


「利用者の心身の機能を、低下させてはいけない」

「利用者が自立していくために、力添えをしなければならない」

「一般の施設に不足しているサービスを、提供しなければならない」

そうしたことです。


だから、例えば「お茶をくれんかね」と利用者の人が言ってきたら、「お茶はそこにありますよ。ご自分でできますよね」そう言って本人にやってもらう。

それが、利用者の機能を回復することにつながり、自立することにつながるからです。

「デイサービスなのにサービスを受けられないのか!」

利用者によっては、こうして激怒する人もいたようですが、そういうときには施設の方針やそうする理由をよく説明して、理解してもらうそうです。

利用者の人が理解しなければ、リハビリは成立しないからです。


こうして事業は成功し、拡張を続けて、現在70以上の事業所を運営するに至ったのです。

その後、二神氏の施設の評判を聞いて、こうした方針を導入するところが、他の施設にも出てきたようです。

 

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非常識力とは常識を打ち破る力

「必要なのに無いものは、作ればいい」
「大事なのは、何のためにやるのかだ」


二神氏こうして、時には非常識な発想で目的を実現してきました。

しかし彼は言います。


「非常識力」とは「常識が無い」ということではありません。

常識は必要なことです。

人に対する深い気配りも、当然必要です。
(彼は以前、スタッフに対する接し方を失敗して、多くの人材を失った経験があります)


「非常識力」とは、常識を無視することではなく、壁やピンチにぶつかったときに、それまでの思考のリミッターをはずして

「常識を打ち破る力を発揮する」

という意味です。


「これは、介護事業だけではなく、どんな分野にも通用する考え方だと思います」

彼はそう語ります。


多くの苦労や試行錯誤を経てつかんできた、二神氏の理念。

我々のビジネスのエッセンスとしても、見習いたいものですね。

 

 

ではまた次回!

 

 

(二神雅一氏の施設のことは「思考のリミッターをはずす非常識力 ~日本一不親切な介護施設に行列ができる理由~」より抜粋・引用 調整しています)

 

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飛べなくなったスーパーマン|絶望から生還した男

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高速で空を飛び、弾丸を手でつかむ。

ヘリコプターを片手で持ち上げて、マシンガンの射撃にも、火炎放射器の炎にも、びくともしない。


その男の名は、誰もが知るヒーロー「スーパーマン」です。


1978年に、リチャード・ドナー監督の映画「スーパーマン」が公開され、大ヒットしました。

この作品は、それまでの古めかしいスーパーマンと違い、特殊効果やクレーン撮影によるリアルな飛行シーンや、スーパーマン自身の葛藤、ユーモアを取り入れた、奥行きのある娯楽大作でした。

 

 
 
 
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このとき、スーパーマンを演じたのは、当時24歳のアメリカ人俳優クリストファー・リーブ

身長192cm、長身でハンサム。

知的で穏やかな雰囲気の、好青年です。


もともとスポーツマンである彼が、スーパーマン役を演じるにあたり、さらにがっしりとした体を作りあげました。

10週間の訓練で15キロの増量を成し遂げたそうです。

ちなみに、その訓練のコーチは「スター・ウォーズ」でダース・ベイダーのスーツアクターをやった大男、デヴィッド・プラウズでした。


「スーパーマン」の大ヒットで、クリストファー・リーブは一躍世界的な有名人となりました。

しかし、彼の実像は、あまり知られていないかもしれません。


例えば・・・

とにかく演劇が好きで、大変熱心な下積み時代を過ごしたこと。

両親の離婚の影響で、彼自身がなかなか結婚に踏み切れなかったこと。

セーリングや飛行まで楽しむ、アウトドア好きのスポーツマンだったこと。

そして、42歳のときに起こった事故が、彼の人生を根底から変えてしまったこと。 

 

 
 
 
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4本にわたって続いた「スーパーマン」の映画シリーズも終わり、8年が経った1995年のある日。

彼は見知らぬ病院の集中治療室で目を覚ましました。

 

どうしてそこにいるのか、一切記憶がありません。


手足がベッドに固定され、喉に穴が開けられて人工呼吸装置がつけられています。

たくさんのチューブが、体中に付けられています。

そして、どういうわけか、首から下に全く感覚がありません

 

いったい何が起きたのか。

自分はどうなってしまったのか。

 

家族や周囲の人の証言をつなぎ合わせてみると、どうやら次のようなことが起こったようです。


病院で目を覚ます数日前、リーブは、ある馬術競技に出場しました。

彼は、スポーツの中でも、特に乗馬が好きだったのです。


几帳面な彼は、競技前日によくコースを下見して、馬の体力・状態を整え、自分と馬との信頼関係もできていました。

競技が始まり、乗馬した彼は、いくつかの障害物を順調に越えて行きました。


ところが、ある障害物に近づいたとき、突如として馬が立ち止まったのです。

障害を飛び越そうと、かなりのスピードで近づいて、突然ブレーキをかけたのです。


このように、予測もなく馬が立ち止まるのは、落馬につながり非常に危険な動作であるため、その世界では「ダーティ・ストップ」と言われているそうです。

 

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なぜ止まったのか、原因はわかりません。

ウサギが飛び出してきたのか、何かにおびえて止まってしまったのか。


ともかく、突如馬が止まったため、くつわや手綱など、馬の頭部に着けてあった馬具が全部いっせいに抜け落ちました。

そして騎手であるリーブも、勢い良く馬から落ちたのです。


身長192cm、体重96.7kgの巨体が、「頭から」真っ逆さまに落ちて、障害の横木に激突しました。

手に手綱が絡まって、頭より先に手を着くことができませんでした。


落ちた瞬間、彼の第一頸椎が粉々に砕けて、第二頸椎までが骨折しました。

ご存知のように、脊髄には、体を動かしたり維持したりする大切な神経が張り巡らされています。

そこが破壊されたのです。

※「第一頸椎」とは、椎骨(脊柱を構成する骨)のうち一番頭側にある骨

 

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わずか数秒のうちに、全身が麻痺して、呼吸ができなくなりました。

救急隊が駆けつけたときには、呼吸が止まってから既に3分が経過していました。

呼吸マスクで空気を送り込み、隊員たちはなんとか彼を蘇生させました。


呼吸停止が4分続くと、脳の損傷が始まるのです。

命を失う寸前のところで、彼は助かりました。


しかし、脊髄損傷は非常に深刻なものでした。

 

彼は、「四肢麻痺」という状態に陥ってしまったのです。

「四肢麻痺」とは、頭部以外の両手足を含む全身が動かせない状態です。


感覚があるのは、首から上だけ。

首から下は、麻痺して動かすことも、何かを感じることもできません。

 

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この状態では、どんな生活になるのでしょうか。


まず、自力で「呼吸」ができません。

だから、喉を切開して人工呼吸器のチューブをつけます。

たまにこれが外れると、看護師さんが走ってきて付け直してくれるまで、呼吸ができないまま恐怖の中で待つことになります。


ずっと寝たきり状態なので、床ずれが起こらないように、3~4時間ごとに何人かがかりで体位を変えてもらう必要があります。


自力で、排尿・排便ができません。

排尿は、カテーテルを膀胱につなげて継続的に排出できるようにします。

排便は、介助員さんがこぶしで腹を押して腸を刺激し、便を移動させて、尻の下に敷いたビニールシートの上に排出させます。

排便の感覚も、それを自力で行なう力も、ないということです。


当然かもしれませんが、性衝動は起こりません。


脳と脊髄の間の連絡がうまくいかないため、体の反応がおかしくなります。


例えば、周りの人が暑過ぎてへばっていても、自分は寒くて仕方がなくヒーターをつけて毛布をたくさん掛けてくれと頼んだり、

燃えるように体が熱くなって目覚めても、周りの人は、何枚も上掛けを重ねて寝ています。


首から下は「痛覚」もないので、病気や怪我が察知できません。

危険信号である「痛み」を、認識することができないのです。

心臓と脳だけが、正常に動き続けています。

 

こうした毎日を送ることになります。


言うまでもなく、私たちの健康は、体中の実に多くの調整機能が正常に働いているために成り立っているということです。


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次第に自分の状況がわかってくると、リーブは恐怖と絶望に襲われます。

 
自分は、もう一生動くことも歩くこともできないのか。

まだ42歳だというのに、くだらないことをしたばかりに、人生が終わってしまった。

この先、みんなに迷惑をかけて、慈悲を請いながら生きるだけだ。

自分ばかりか、みんなの人生も無茶苦茶にしてしまった。


絶望や怒り、悲しみが、彼を襲います。

それは、決して終わることのない苦しみでした。


彼はついに、妻であるディナにこう言いました。



「このまま、死なせてもらったほうがいい」



この言葉を聞いて、ディナは泣きだしました。

しかし、彼女はこう言ったのです。


「これはあなたの人生だし、あなたが決めることだから、私はあなたの意思を尊重する」

「でも、これだけは知っていてほしい。私は何があっても、あなたのそばにいる」

「あなたは、あなたのままだもの」


この言葉に、リーブは命を救われた
のです。

 

深い水の底に沈んだかのような、元スーパーマン、クリストファー・リーブ。

しかし、妻や子供たちに支えられ、多くの優れた医師たちや親友たちに助けられて、彼は次第に生きる意味を見つけていきます。


いや、見つけていくしかなかったのです。

 

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Christopher & Dana Reeve Foundation - Facebook
クリストファー・リーブと妻のディナ


彼は知っていました。


脊髄の高度な手術も、病院の長期間の滞在も、自宅に帰ってからの看護体制の完備も、彼にその「財力」があったからこそ、実現できたのです。

経済的に、そのようなことが実現できない人には、大変に厳しい状況が待っています。


彼は、それを十分に理解していました。


だから自分にできることは何かと考えたとき、自分の知名度を活用して、麻痺や難病で苦む人の状況を少しでも改善することだと思いました。

もちろん、自分自身の治療・改善にも期待をかけてのことです。

 

彼は、車椅子で、アカデミー賞のゲストとして登場しました。

でも、登場するまでは、不安にさいなまれていました。

途中で、呼吸器が外れたりしないだろうか。

急に痙攣が起きて、観客の前で醜態をさらさないだろうか。

何かあったら、看護師さんはすぐに舞台にかけつけてくれるだろうか。


何度も悩んだ末の登場でした。


しかし実際には、彼の登場で、会場は喝采の嵐に包まれました。

誰もが、彼の登場を待ち望んでいたのです。

 

スピーチの冒頭で、リーブはこうジョークを飛ばして、会場を沸かせました。

「おそらく、どなたもご存じないでしょうが、実は私は、去年の9月にニューヨークを発って今朝ようやくここにたどり着いたのです。世界が注目するこのレセプションに間に合ったので、ほっとしています」

 

YouTube

 こうして、彼は車椅子に乗り、排尿カテーテルや人工呼吸器をつけたまま、麻痺や難病の治療の資金集めや働きかけのために、全国を奔走しました。

クリントン大統領に、医療機関の研究費の増額を申し出るアプローチもしました。


彼が、こうして絶望の淵から生還できた源は、医師や家族のほかに、病院にいた頃に出会った様々な麻痺患者の人たちの存在でした。


奥の部屋に入院していた14歳の男の子。

彼は、お兄ちゃんとのプロレスごっこの最中に背負い投げされて、頭から真っ逆さまに落ちた。

四肢が麻痺してしまい、今はかろうじて自主呼吸ができて話ができる程度だ。


ある青年は、大学1年のときホッケーの試合で手足の自由を失う重傷を負った。


ある青年は、17歳のときに交通事故に遭い胸から下が麻痺してしまった。

しかし、彼は多くのものを失いながらも必死に勉強を続けて、32歳でウォール・ストリートで職を得るにいたった。

 

 
 
 
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リーブは、こう考えるようになりました。


危険を顧みずに突進していく特別な存在ばかりが、ヒーローではない。

障害があっても、勇気を持ってそれに耐え、日々一生懸命生きている人

こういう普通の人たちが、ヒーローなのだ。

そして、彼らを支えている家族や友人たちこそが、ヒーローなのだ。


そんな人たちのために、自分ができることをしようと思いました。

リーブは、自分の感情に苦しむばかりではなく、「人のために動く」という行為からエネルギーを得ていったのです。



脊髄損傷者の治療と医学研究の資金集めのために、彼は「クリストファー・リーブ財団」を設立しました。

全国各地で講演会をして、自分の体験を語り、難病に苦しむ人たちのための資金集めをしました。

集めた多大な資金は、専門の協会に寄付しました。

 

あの時はよかった、元気な昔に戻りたい。

そう思ったところで、それは実現できません。

彼は、苦しみながらも、過去への郷愁から視線をはがして、未来に目を向けたのです。

 

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2004年10月、クリストファー・リーブは、自宅で心不全を起こして昏睡状態となり、亡くなりました。

52歳の生涯でした。

落馬事故があってから、10年後のことです。


空を飛ぶことはできなくなったが、不屈の精神とガッツで最後までスーパーマンそのものだった、クリストファー・リーブ氏。

その姿は、今でも映画の中に生き続けています。

 

 
 
 
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(クリストファー・リーブの実話およびストーリーは、本人の著書「STILL ME(邦題:車椅子のヒーロー)」より抜粋・引用 調整しています)


この記事には続編があります。こちらです↓

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ではまた次回!

 


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自分に打つ薬ありますか?デキる人の自分操縦術

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なぜ、作業は続かないのか

あるとき僕は、新しいビジネスを始めようと決心しました。

これまでやったことがないサービスの開発です。

いずれ、今の仕事は先細りして衰退してしまう。

そう思ったからです。


決心をして、サービス内容を考え、Webサイトや名刺を作り、準備を進めました。


しかし・・・


日々の仕事に追われてくると、新ビジネスの準備は徐々に後回しになっていきました

焦る気持ちが起こるたびに、自分に言い聞かせます。


「大丈夫、また落ち着いたら再開すればいいんだ。
何ヶ月か計画がずれたからって、大勢に影響はないだろう」


ところが、日々の忙しさに埋没していくうちに、新ビジネスの準備は3年もの間止まってしまいました!

自分では一瞬のことなのですが、実に3年という月日が経っていました。


書きかけの書類は書棚の奥に追いやられ、パソコンの中のデータは3年間いじることなく放置されたままです。

今では、この新ビジネスで自分が真に何をやりたかったのか、はっきりと思い出せなくなってきました。


そして恐ろしいことに、3年前の情熱がどこかに消えてしまいました・・・。

 

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課題をつい後回しにして、遠ざける

このエピソードは、物事への取り組みをついつい後回しにする、そして、時間とともに継続力を失ってしまうという「架空のお話」です。

決して、現実の僕が情熱を失ったわけではありません (^-^)


しかしながら、この話の中にある気持ちや状況の変化は、物事に取り組むとき、大なり小なり、いつも我々に付きまとってはいないでしょうか。


忙しい毎日の中で、どうしても目先のことを優先してしまう。

その結果、やると決心した重要な課題でもすぐには困らないからといって、ついつい後回しにする

そういう傾向は、きっとあると思います。


そして、これはきっと「時間の問題」だけはないですよね。

 

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人は本来、集中できない生き物?

人はもともと、集中力を持続するようにできていない」という説があります。


集中した状態を長時間保てない、という意味です。

このことはおそらく、「継続力」にもつながることでしょう。


この説によると、人というのは、まわりの環境によってつい意識が散漫になってしまう性質があるというのです。


その根拠は大昔に遡ります。


人類が狩猟をしていた時代、人には「一つのことに集中するのを避ける」という性質があったというのです。

いつ何者かに襲われるかわからないという状況では、一つのことに意識を集中して周りが見えなくなってしまうと、命にかかわることになる。

だから、あらゆる方向に注意を向けることで、危険を回避してきた。


つまり「集中力がないこと」によって生き延びてきた、という解釈だそうです。

あえて「散漫な状態になる」ということなのでしょうか。


この説を安直に解釈すれば、自分の散漫な精神がちょっと救われた気になりますが・・・ ( ̄▽ ̄;)

 

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pixabay

苦しみを避ける人の本能

人は集中したり継続することが苦手だとする見解に、僕はもう一つ理由があると思います。

それは、苦しみを避ける本能です。


何らかの努力をするということは、負担を抱えるということです。

人は、できるだけ苦しみを避けようとするので、余計なこと、面倒なことにはかかわらないようにする性質があると思います。


今よりも負担がかかる事態になることを、恐れるのです。

一種の防衛本能でしょうか。


ただし例外として、自分が情熱を持っているときや、楽しいと感じているとき、あるいは、誰かと共に取り組んでいるときなどたとえ困難な課題であっても負担に感じることなく取り組むことができる。


そうではないでしょうか。

 

デキる人はどうやって自分を操縦するのか

ところで、いわゆる「デキる人」は多くの課題に取り組み、多くの結果を残します。

それ以外の人よりも、明らかに生産性が高いのです。


なぜデキる人は、集中・継続して物事に取り組むことができるのでしょうか。


いろいろな見解を読み、実際にまわりの「デキる」人を見てみると、どうやら彼らは、「自分を動かすこと」に長けているようです。

自分を操縦するのがうまいのです。


僕が思うに、その秘密はどうやら彼らが「自分に打つ薬を持っている」ということです。

 

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自分に打つ薬

「自分に打つ薬」

なにやら怪しい響きがありますが (^-^)

「薬」とは、自分をうまく動かすための「工夫」や「きっかけ」あるいは「栄養」のことです。


人は放っておけば、集中や継続することが苦手なのかもしれません。

だとすると、何かに取り組もうとしたら、どうにかして「自分を動かす」ということが必要になってきます。


自分が自分を押して、あるいは引っ張って、前に進めていく
ことが必要なのです。


では、自分を動かすのにどんな「薬」があるのでしょうか?

もちろん、飲んだり注射したりする薬ではありません (^-^)

課題に対する考え方や取り組み方です。


たくさんの方法のうち、誰にでも取り入れやすいものを少し挙げてみましょう。

 

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pixabay

「とりあえず始める」で自分を興奮させる

まずは「とりあえず始める」方法です。

全部をやりきるのではなく、準備だけ、入り口だけをやる。


例えば、「原稿を書き上げる」という課題なら、まずパソコンの電源を入れる、ファイルを開く、仮タイトルを打つ。

そこまでやったら寝よう。

あとは明日やる。


これでいいのです。


実際にやってみると、ファイルを開いてタイトルを打ったら、最初の見出しだけ打ちたくなった。

最初の見出しを打ったら、本文のアイデアが少し浮かんだ。

気がついたら、いくつかの段落を打っていた。


やる気がなかった作業に、ごくごく自然にやる気のスイッチが入って、いつのまにか没頭していた

こういうこともあります。

この現象には、「作業興奮」と呼ばれる秘密があるのです。


とりあえず手を動かして準備している間に、脳内からドーパミンが出て、やる気が湧き出てくる現象です。

ドーパミンとは、「やる気」を出す神経伝達物質です。


ポイントはただ一つ。


「準備したら寝よう。最後まではやらない」と決めたことです。


これが手を動かす引き金になり、手を動かしたことが、興奮状態の引き金になったのです。

もし、最後までやろうと決めていたら、気が滅入ってしまい、手を動かすことすらできずに他の遊びを始めていたかもしれません。


また、実際にやってみたら本当に準備だけで終わってしまった

それでもいいのです。


準備ができていれば(仮タイトルが書いてあれば)、翌日はその状態、つまり一歩進んだ状態から始められるからです。


また別な観点として、何かの作業を最初は5分だけ、しばらくしたら10分だけ、慣れてきたら15分やる。

こうした「わずかな着手」を段階的に増やしていくことも、「とりあえず開始」と同様に楽な取り組みになるでしょう。


デキる人は、どうしたら自分が動くか、どうしたら自分にギアが入るかを、知っているのです。

 

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pixabay

「ルーチン」で快楽作業にする

ひとつひとつの課題を、その都度考えてから実行するのはしんどいことです。

ですから、できる限り多くのことを「習慣化」してしまう

型どおりの、決まり切ったものにしてしまう。

これも、自分を動かす方法です。


ルーチン作業であれば、考えなくても実行できますよね。

もちろん、実際に行なうときにはその都度頭を使うでしょう。

しかし、それを始めるための苦労は減るはずです。


ポイントは、課題をいかにしてルーチン作業に変えるか、です。


例えば、いつも同じ時間に行なう(朝9:30に行なう)。

例えば、いつも同じ順番で行なう(パソコンを起動したら最初に行なう)。

そうした普段のリズムの中に組み込んでしまうのが、楽かもしれません。

ルーチンをこなしていくと、課題をクリアしたことで「作業興奮」が出て気持ちよくなる。


快楽作業に変わる
のです ヽ(゜∀゜ )ノ

 

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pixabay

「軽い運動」で幸せホルモンを出す

適度な運動をすることです。


運動によって体調が良くなるばかりか、課題をクリアするのにもってこいの「興奮・幸せホルモン」が出やすくなります。

「興奮・幸せホルモン」とは、脳内物質のことで、ここでは、ドーパミン、セロトニン、アセチルコリンなどを指します。

 

  • ドーパミン」が出ると、嬉しい、幸せ、快感、などを感じて「やる気」が出る。
  • セロトニン」が出ると、精神を安定させ、「覚醒」の作用をもたらす。
  • アセチルコリン」が出ると、結びつかなかった記憶や情報がふと結びつくなど、「ひらめき」を生み出す。

 

運動によって、このような、自分のパフォーマンスを上げる様々な「興奮・幸せホルモン」が出やすくなるのです。


運動とは例えば、30分程度のウォーキングや、軽いジョギングなどでよいようです。

時間的に難しい場合には、「1駅歩き」「2駅歩き」など仕事や用事のついでにやってしまうのもよいかもしれません。


運動の後に作業ができたら、最高ですね。

脳内に「興奮・幸せホルモン」が出ているのですから。


運動は、できるだけ毎日続けると、効果が出やすいようです。


(「人は大昔から集中することを避けてきた」「脳内物質、作業興奮」などの見解は「コンラボ」サイトの「集中力を高める3つの方法と持続の仕組み」「脳活性化のツボ!脳を覚醒させるポイント3つ」より抜粋・引用 ブログ用に調整しています)

 

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デキる人は、自分をそのままにしておかない

デキる人はこれ以外にも、自分に打つ「薬」、すなわち様々な「自分操縦術」を持っていると思います。

停滞する自分を、そのままにしておかないのです。

 

  • 決して諦めない力
  • とことん継続していく力
  • 失敗を失敗と思わない心
  • ネガティブな気持ちにとらわれない心
  • 逆境にいてもどこか楽しむ力

 

これらを得るために、何かしらのきっかけ、コツを持っていると思います。

たくさんありますので、また別な機会に触れていきましょう。


物事に取り組むこと。

それを苦しみや負担ではなく「楽しいこと」「気持ちいいこと」に変えてしまう

そうすると、パフォーマンスや結果は、著しく変わってくるでしょう。


デキる人とそうでない人の差は、実はこんな工夫にあるのかもしれませんね。

 

 

ではまた次回!

 


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自転車泥棒|6歳の息子が見た父の責任と苦悩

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photoAC

仕事が回ってきた!

職業安定所の係員が自分の名前を呼んでいる。

どうせ今日も仕事などないと諦めて道端で暇をつぶしていたが、驚いて立ち上がった。

仲間が、自分が呼ばれたことを教えてくれている。

ついに、自分に順番が回ってきた。

2年ぶりの仕事をもらったのだ!


ここは、第二次世界大戦後のイタリア、ローマ。

戦後の不況で、仕事を待ち続ける食うにも困っている失業労働者と、その家族たち。

その中の男・アントニオに、ようやく仕事が回ってきたのだった。

彼には、妻と6歳の息子、そして赤ん坊がいる。


彼がもらったのは、市役所のポスター貼りの仕事だ。

喜びを隠せないアントニオ。

ただ、この仕事には「自転車」を持っていることが条件だという。

アントニオは蒼白になった。

彼は、食べるために、自転車を質に入れてしまったのだ。

「今すぐ自転車がないのなら、この仕事は他の者にまわす」

係員はそう言った。


俺にくれ!

俺なら自転車を持っている!

男たちは口々に申し出てくる。

 

「どうするんだ?」係員はアントニオに問いただす。

「何とかします。2年ぶりの仕事なんだ」

アントニオは紹介状を持って家に帰る。

しかし、彼には、自転車を用意するあては全くなかった


この物語は、戦後の貧困にあえぐイタリアを舞台にした映画「自転車泥棒(Ladri di Biciclette)」の世界です。

ヴィットリオ・デ・シーカという、イタリア出身の名監督の作品です。

(以下、完全なネタバレを含みますので、ご了承ください)

 

 
 
 
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自転車が用意できない。

アントニオのこの悩みがいかに深刻か、想像できるでしょうか。

自転車があれば、家族が食べられるようになり、無職の苦しい生活は一変する。

ちゃんとした給与がもらえるばかりか、家族手当もついてくる。

しかし、自転車がなければ、この仕事を失ってしまう

次の仕事にありつけるまで、あと何日、何ヶ月待てばよいかわからない。

それまで、妻子を抱えてどうやって生きていけばいいのか。

絶望的な状況です。


自転車を用意するあてもなく、帰ってきたアントニオ。

「仕事をもらったのに、できない。どうにもならん。いっそ死にたいよ!」

妻・マリアにそう嘆きます。

ところが、こういうとき、女性は強いのでしょうか。

マリアは思い立つと、いきなりチェストやベッドから白いシーツを引っ張り出し、金ダライで洗い始めます。

これらは、嫁入り道具に持ってきたシーツです。

「どうする気だ?」

「これがなくても眠れるわ」

これらのシーツを質に入れて、代わりに自転車を取り戻そうというのです。

妻・マリアの決断と行動は、早いです!


かくしてアントニオは、妻の機転のおかげで、シーツと引き換えに自転車を質から取り戻しました

そして、さっそく紹介状を手に市役所をたずね、翌日から仕事をする手はずを整えたのです。

うまくいった

これで給料が入ってくる。
食べていけるんだ!
アントニオとマリアは喜びます。

「生きた心地がする」とはこのことでしょう。

 

 
 
 
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翌朝、アントニオは、支給された作業着を着て自転車を担ぎ、誇らしげに仕事に出かけます。

そして、息子のブルーノも作業着を着て、父と一緒に出かけます。

でも・・・彼はまだ6歳です。

父のように仕事をしようとでもいうのでしょうか?


6歳といえば、今の日本では幼稚園の年長組か小学校一年生です。

果たして、ブルーノはまだ未就学児(学校に入る前)で、自由な時間があるというのか。

あるいは、戦後の混乱で、学校制度も整備されていなかったのか。

そもそも、当時では6歳ぐらいの子供でも働いていたのか?

これらの時代背景は、不明です。

もっとも、当時は子供でも大人でも、働ける者は働かないと食べていけなかったのかもしれません。

ちなみに、現在の日本の労働基準法では、15歳の4月1日から働くことが可能です。

 

とにかく、この息子・ブルーノは、見た目は年相応ですが、驚くほどしっかりしています。

彼は、父とともに朝7:00ごろに出かけて、とある小屋の前に到着。

ここで父と別れます。

その小屋から、掃除道具を出しているところを見ると、何か掃除の仕事でもするようです。

職場のおじさんと、当たり前のように元気にあいさつします。

そして、夜の7:00ごろに、再び同じ場所で父と待ち合わせします。

つまり、10~12時間労働をしているのでしょうか。

「子供が労働する」という是非はともかくとして、彼は非常にたくましいのです。

 

 
 
 
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さて、父・アントニオはというと、同僚から仕事を教えてもらって、すぐに一人になり、街の壁にポスターを貼っていきます。

ハケを使って、大きなポスターをのりで貼っていくのです。

やはり、自転車は当時としては高価なのでしょう。

道行く人が、傍らに立てかけた彼の自転車を一瞥していきます。

一生懸命ポスターを貼るアントニオ。


すると、一瞬の隙を突いて、見ず知らずの若い男が彼の自転車を盗んでいきます

はしごに登って作業していたアントニオは、叫びます。

「泥棒!(un ladro!)

はしごから下り、走って追いかけます。


泥棒は、自転車を漕いで猛スピードで逃げていきます。

必死に追いかけるアントニオ。

途中、中年の男がアントニオと一緒になって、他人の車に相乗りして泥棒の行き先を示してくれます。

「あっちだ!」

しかし、追い詰めた自転車は人違いで、全く関係ない人でした。

そうしているうちに、泥棒は雑踏の中に消えてしまいました

どうも、この中年男が泥棒の若者と組んでいたようですが、パニック状態のアントニオにはそんなことまで気が回りません。


仕事を始めてすぐに、一番大事な自転車を盗まれてしまったのです。

途方に暮れるアントニオ。

その夜、そのことを知った妻・マリアはさすがに泣き出してしまいます。

 

 
 
 
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翌朝、アントニオはブルーノを連れて自転車捜しに出かけます。

朝市に並んで売り出されている自転車を見たり、あてどもなく町をさ迷ったりします。


捜索中、アントニオはとにかく自分のペースで歩き回り、右往左往します。

自転車を探す一心で、子供のペースなど気にしている余裕もありません。

しかし、ブルーノは文句一つ言わず、疲れたとも、のどが渇いたとも、お腹が減ったとも言いません。

ひたすら父を見上げては、必死について行きます。

父の焦りや苛立ち、悲しみも、心配そうにずっと見ています。

ブルーノとて子供ですから、そうして父について行くしかないのです。

 

 
 
 
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そしてあるとき、自転車を奪った泥棒らしき若者にばったり遭遇します。

アントニオと目を合わせるや、不振な挙動で立ち去ろうとする若者。

アントニオは、若者に自転車を返すよう問い詰めます。

しかし、「何のことかわからない」と否認する若者。


問い詰めているうちに、若者が住むその界隈から近所の男たちが現れて、アントニオを取り囲みます。

こいつがあんたの自転車を盗んだって?

確かなのか?

盗んだという証拠があるのか?

こっちはあんたを訴えることもできるんだぞ!

近所の男たちは、若者に加勢してアントニオを攻め立てます。

父の一大事に、ブルーノが警官を呼んできます。

そしてついに、アントニオは警官とともに、その若者の部屋を任意で捜索することになります。


古い簡素なアパートの一室に、若者とその母親を含めた家族4人が住んでいます。

その狭さ、貧しさは、アントニオの住まいよりさらに厳しいように見えます。

そして、その部屋からは、自転車も部品も何一つ出てきませんでした

警官も、これ以上捜査することはできません。

アントニオを追い返すように、非難を浴びせる近所の者たち。

果たして、その若者が犯人だったのかどうかも、もはやわかりません。


絶望が、アントニオを襲います。

さ迷う道すがら、向こうのスタジアムからサッカー試合の歓声が聞こえてきます。

絶望に沈むアントニオとは対照的な、活気ある歓声。

スタジアムの駐輪場に、数え切れない観客の自転車が停められてます。

自分はこんなにも必死に一台の自転車を探しているのに、目の前には無数の自転車がある。

呆然としているアントニオ。

 

 
 
 
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ふと、反対側の人通りのない路地裏に、ポツンと一台の自転車が置かれているのを見つけます。

自転車のそばには誰もいません。

息子のブルーノは、長時間の捜索に疲れ果てて路傍に座り込み、頭を抱えています。


アントニオは、駐輪場の自転車と路地裏の自転車を見ているうちに、ある思いにとりつかれます。

決して踏み越えてはならない、善悪を超えた思いです。


やがてスタジアムの試合が終わり、大勢の観客が出てきます。

みんなが自転車に乗り込み、家路に着きます。

道は、行き交う自転車でいっぱいになります。


路地裏には、まだ一台の自転車が置かれています。

誰も見張っていない様子です。


我を忘れるほどに、葛藤にさいなまれるアントニオ。

自分は、いったいどうしたらいいのか。

チャンスは今しかない。

本当にやるしかないのか?

 

 
 
 
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そして、ブルーノに金を渡して、路面電車で先に待ち合わせの駅まで行っているように指示します。

ブルーノは、言われたとおりに一人で電車に乗ろうとするのですが、すんでのところで乗り切れず、電車は発車してしまいます。

ブルーノは、その場に残されてしまいます。


アントニオは、路地裏の自転車にゆっくりと近づいて行きます。

まわりには誰もいません。

表通りの騒音が聞こえてくるだけです。

 

自転車に近づくと、アントニオは一気に乗り込んで走り出します。

 

「泥棒!(un ladro!)

とたんに、建物の出口から男が出てきて叫びます。

 

必死に濃いで逃げるアントニオ。

 

「捕まえてくれ!」

男が叫ぶと、通りがかった者たちがアントニオを追いかけます。

5人、10人と、見る見るうちに追っ手は増えていき、自転車に追いつきそうになります。


そして、立ち尽くすブルーノの目の前を、自転車を漕ぐ父と追っ手が走り去って行き、ついに父が逃げ切れずに捕まってしまいます

一部始終を見たブルーノは、呆然とします。


自転車から引きずり下ろされ、激しく小突かれ、攻め立てられるアントニオ。

すぐに、自転車の持ち主である中年の男がやってきて、彼を咎めます。

「この野郎、なんてことする!」

ブルーノが、泣きながら父の元に走ってきてしがみつきます。

「パパ!パパ!」

大勢からはたかれ、小突かれている父。

父にしがみつく息子。

どの警察署に連れて行くか、みんなで相談が始まります。


しかし、父と息子の様子をじっと見ていた持ち主の男は、言います。

「離してやれ」

男たちは驚き、納得がいきません。

「何だと?」

「もういいんだ。みんなありがとう」

それだけ言うと、持ち主の男は去ってしまいます。

その言葉に、男たちも不承不承解散します。

「俺なら警察に突き出してやるのに」

「神様に感謝しろよ!」

攻め立てながらアントニオを解放する男たち。


言葉もなく歩いていく、アントニオとブルーノ。

通り越していく人や車に押されながら力なく歩くアントニオは、やがて歩きながら泣き出してしまいます

泣く父の顔を見上げて、ブルーノはぎゅっと父の手を握ります

不安でいっぱいなのに、どこか父を勇気付けるまなざしを感じます。

泣きながら歩くアントニオと、手をつないで父を見守るブルーノ。

 

物語はここで終わります。

 

 
 
 
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このあと、この親子、この家族はどう過ごしていくのか。

どう生きていくのか。

問題は何も解決していません。


しかし、息子の存在が、自転車泥棒をした父を刑罰から救ってくれました。

最後の息子の優しいまなざしが、微かな希望を運んできてくれるように感じます。

父・アントニオは、また立ち上がれるのでしょうか。


息子・ブルーノは、自転車捜しを通じて、父の不安、必死、喜び、悲しみ、苛立ち、弱さ、そして責任を見てきました。

これからも見ていくでしょう。

しかし、父が自転車泥棒になったとしても、ブルーノにとっては大好きなパパです。

きっといつか、この事件がなんだったのか、わかる日が来るでしょう。

 

 
 
 
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物語を最後まで書いてしましたが、あくまでも文章ですし、記事に収めるためにストーリーのかなりの部分を割愛しています。

映画では、父と子のもっと多くの場面が描かれています。

もし観ていない方は、是非観てみてください。

 


ではまた次回!

 


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一万年の旅路|地球を渡ったモンゴロイドの口承史

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データの最終的な保存先はどこ?

あなたは、パソコンやスマートフォンのデータを、どのように保存していますか?

写真や動画、作成した書類などです。

パソコンなら、ドキュメントのフォルダなどに保存しますよね。

あるいは、外付けのハードディスクに入れるか、iCloudやGoogleドライブなどのクラウドサービスを利用するかもしれません。

長期に保存しようとすれば、この記事を公開する時点では、ハードディスクかDVD、ブルーレイディスクへの保存が、最終的な保存先になるでしょうか。

きっとこれらの媒体で、長い間保存されることになりますよね。


しかし・・・


時折、不安を抱きませんか?

このDVDって、何年ぐらい持つんだろう?


ある日中身を開こうとしたら、エラーになって、大事なデータが見られなくなることもあるんじゃないか?

最終的な保存先にしておいて、大丈夫だろうか。

そんなふうに思ったこと、一度はありますよね?


僕は実際に、最終保存先のCDやDVDが壊れてしまって、データが見られなくなったことが「何度も」ありました。

 

今存在するどんな記憶媒体にも、「寿命」があります。

ディスクにも、チップにも、テープにも。

それらはいつか壊れてしまい、情報が見れなくなってしまう時が来るでしょう。


情報を失うのを防ぐには、ときおり保存状態を確認したり、機器をメンテナンスしたり、保存先を変えていく必要があるでしょう。

そう考えると、結局、永遠に保存しておける媒体などないということでしょうか?

 

ディスクなどの寿命はどのぐらいあるの?


様々な記憶媒体の、おおよその寿命を見てみましょう。


USBメモリやSDカードなどの「フラッシュメモリ」は、5年~10年の寿命。

パソコンでいつも使っているハードディスクドライブ(HDD)、これが何と3~5年の寿命!

短いです!

ハードディスクドライブは良く使いますが、磁気や衝撃に弱いため、耐用年数は低いようです。

いつも作業しているデータこそ、気をつけなければなりませんね(;^_^A

 

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続いて、CD、DVD、ブルーレイディスクなど「光ディスク」と呼ばれるものは、10年~30年。

意外に短いですよね。

ブルーレイディスクなどを、最終の保存先にするケースもあると思いますが、この寿命をみると、果たしてその判断でよいのかどうか迷います。


ただし、ブルーレイディスクなどは、近年開発されたM-DISCという「長期保存用光ディスク」と言われるタイプのものならば、100年から1,000年の耐久性があると言われています!

いきなり長くなりますね。

M-DISCの記録ディスクは、いまだ高額で、書き込みにはM-DISC専用の機器が必要です。

 

アナログ媒体はどのぐらいもつの?


見落としがちですが、アナログの記録媒体はどうでしょう。

例えば・・・

マイクロフィルムなどは、500年ほどの寿命。

長いです!


でも、アナログ勢の実力は、こんなものではありません。

和紙やパピルスが、1,000年~2,000年!

粘土板は、5,000年! (゜A゜;)

もう、いきなり「文明」レベルの長大な期間になっています。


石板にいたっては、3万年ほど持つそうです!

3万年・・・。

 

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もっとも、これらの寿命の比較は「媒体が長持ちするかどうか」の話であって、記録の精度とは関係ありません。

アナログ媒体になればなるほど、「記録密度」は低くなっていきます。

つまり、石板に近づけば近づくほど、記録できる情報は少なくなってくるということです。

石板に刻み込んだ絵や文字と、ブルーレイディスクに記録したデジタル情報を比較すれば、そのボリュームの差は歴然でしょう。

 

最新の記憶媒体の寿命は


しかし近年、これらのデジタル、アナログ媒体の寿命期間をはるかにしのぐ、ハイテク記憶媒体が開発されたようです。

はるかにしのぐって、まさか・・・

3万年以上あるの?


3万年?

いやいや、そんなショボい期間ではありません。


その耐用年数、何と138億年!


もう一度言います。138億年!!(;^_^A


もはや、一つの惑星の寿命、いや宇宙の歴史の単位になってしまっています。

この記録媒体は、イギリスのサウサンプトン大学の科学者が開発したもので、ガラスに特殊なレーザーで情報を書き込む媒体なのだそうです。

映画「スーパーマン」に登場する、ハイテクなメモリークリスタルになぞられて、「スーパーマン・メモリークリスタル」と呼ばれているそうです。



しかし、138億年とは、いったいどういう長さなのでしょうか。

地球の年齢が45億年、宇宙の年齢が138億年、と言われています。

つまり、この媒体は、宇宙が生まれてから今日までの間持ちこたえられるもの、ということになるのでしょうか (;゜д゜)

これはもはや、「永遠」と言っていいでしょう。

ただし、人間にはその実績のほどを確かめる術はありませんが・・・。

 

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無形の記憶媒体


さて、これまで挙げたデジタル媒体もアナログ媒体も、全て「物体に記録を残す」という方法です。

もし媒体が壊れたり、消えてしまったら、情報を読み取ることはできません。

つまり、石板が粉々になったりディスクが破損したら、ジ・エンドです。


ところが、人類は長年にわたって、物体にではなく形のないところにも、情報を保存する方法を開発してきました。




それは、「人の記憶の中」です。



といっても、単なる語り草や民話、伝説の話ではありません。

厳密に選ばれて、記憶力を訓練された人に、口伝え、つまり「口承」で情報が伝授される方法です。


一万年の旅路
~ネイティヴ・アメリカンの口承史
(原題:THE WALKING PEOPLE)
という本に、それが記されています。


僕は、20年以上前に初めて、この540ページのボリュームのハードカバーの本を読みました(日本語版です)。

この本は、ネイティヴ・アメリカンのイロコイ族の系譜をひく女性、故・ポーラ・アンダーウッドさんの著書です。

つまり、このポーラさんという人が、ネイティヴ・アメリカン口承史の伝承者の一人だったということです。

 

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pixabay(写真はイメージです。ポーラさんではありません)

 

口承の緻密な方法


この本にも書いてありますが、口承の方法は、実に壮大で緻密、そして正確です。


一族はまず、誰に情報の伝承者としての素質があるかを、慎重に見定めます。

そして、伝承者が決まったら、時間をかけて記憶の訓練を行い、その後順を追って少しずつ情報を伝えます。

口承作業は、何年もかかります。

やがて、

自分がそれを話せるほどに理解し、

描けるように風景を想像し、

登場する人々の考えを理解し、

話が意味する「本質」を理解し、

脳内に定着させると、

伝承は完了です。

やがて時が来たら、次の世代の伝承者を選び、また時間をかけて少しずつ伝えるのです。


ポーラ・アンダーウッドさんは、父と長い時間をかけて記憶の訓練をしました。

そしてその後、何年もかけて、一族で伝えられてきた何千年分の情報を、父からの口承によって記憶したのです。

そして、自分の世代で初めてそれを英語に翻訳し、文字にして書物に書きとめる決意をしました(本にして540ページもの情報です)。

それが「一万年の旅路」という本です。

 

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ネイティヴ・アメリカンは、どこから来たのか?


あなたは、ネイティヴ・アメリカンや南米の人たちの顔が、われわれ東洋人に似ていると思ったことはないでしょうか?

確かに、彼らとわれわれは似ています。


これには理由があるのです。


約1万年前、ユーラシア大陸とアメリカ大陸に挟まれたベーリング海峡は、まだかろうじて陸続きでした。

そのころの状態を、「ベーリング陸橋」と呼ぶそうです。

われわれの祖先であるモンゴロイドは、アジアを旅立ち、何千年もかけてこのベーリング陸橋を通って北米大陸へ移動したというのです。

これは、現在定説になりつつあるようです。

そして、当時無人だったといわれる北アメリカ大陸に到着すると、さらに南下、東に移動し、3,000年ほど前に現在のカナダのオンタリオ湖周辺に定住した、ということです。


数十万年前にアフリカから始まり、地中海、アジア大陸を横断し、北米大陸まで移動したモンゴロイド。

ネイティヴ・アメリカンは、このモンゴロイドの子孫、つまり、われわれ日本人と同じ祖先を持った民族だったのです。

 

f:id:wakaru-web:20190619234026j:plainWikipedia(イロコイ族の写真ですが、文中の一族の写真ではありません)


「一万年の旅路」には、この壮大な旅の一部始終、そして、旅を通じた一族の学びが、丹念に書かれています。


成功したとき、失敗したとき、どんなときでも丁寧に話し合い、時には最年少の子供の言葉に耳を傾け、力を合わせて様々な問題を乗り越えます。

一族はとても謙虚で知恵があり、仲間(特に子供)を大事にします。

しかし、決して最初からうまくいってはいなかったようです。

くじけず、諦めず、先人から学び、自分たちで考えて生き延びてきました。

そして、何千年分の旅や知恵、人生の考え方のエッセンスを「贈り物」として口承してきたのです。


ちょっと長いですが、何なら、このまま教科書にしてもいいくらいの内容です (^-^)

もしご興味がわいたら、読んでみてください。

一万年の旅路 ~ネイティヴ・アメリカンの口承史

 

f:id:wakaru-web:20190619232041j:plainpixabay

 

楽しみながら、物事の本質を理解しながらの口承作業


ポーラさんと父の訓練と伝承は、実に自然で興味深いものだったようです。


父は、いつもポーラさんが興味を引くように進めました。

時には、わざと話を途中でやめて、「その後の展開が聞きたくて仕方がない」そういう状態にして終わりました。

いわば「好奇心が空腹」の状態です。

そして、再開したときには、まさにしみ込むように頭に入ってきて記憶されたようです。


時には、ただ伝えるだけではなく

「それについてどう思うか?」

「君ならどう考える?」

そういった「対話」をしました。

うわべだけではなく、物語の背後にある「本当に意味するもの」を自分なりに検討し、理解しながら、進めていったのです。


つまり、全くのところ「詰め込み教育」ではなかったようです。

この口承作業の全てが、後世に対する一族の「贈り物」だったのでしょう。


日本で、もしこうした教育のエッセンスがもっと取り入れられたら、どれほどよいことでしょう。

興味を引っ張っていく、学習方法。

試験のためではなく、自分にとって意味のある記憶と理解、そして吸収。

自分なりに、考える力を身につけること。

そうすれば、人生に役立つ真の勉強ができるかもしれませんね。


モンゴロイドの末裔として。

 


ではまた次回!

 


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ゴルゴ13の極秘健康診断|高収入な人ほど健康に気を配る

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pixabay

 

ゴルゴ13の弱点

世界をまたにかける、超A級スナイパー・ゴルゴ13

完全無敵と思われる彼にも、実は身体的な弱点があったのです。

それは、年に一度ぐらいの頻度で現れる、突然右腕が麻痺するという症状。

この症状が出たら、ゴルゴ13は、いつものように仕事を完遂することができません!


彼自身の見立てでは、この症状は「ギラン・バレー症候群」という病気でした。

この聞き慣れない「ギラン・バレー症候群」とは、急性・多発性の根神経炎の一つで、主に筋肉を動かす運動神経に障害が起こって手足に力が入らなくなる症状だそうです(Wikipediaから引用)。

いつ命を狙われるかわからない彼にとって、手足に力が入らなければ、それは即「死」につながることを意味します。

この症状が出ると、いつも冷徹で無表情な彼もさすがに冷や汗をかき、症状が治まるまで一切依頼を受けません。


(ゴルゴ13は、さいとう・たかを氏の漫画の主人公ですので、全て漫画の世界です (^-^) ただし「ギラン・バレー症候群」は実在する症状です)

 

 
 
 
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後に、ストーリーの中で、ゴルゴ13のこの症状は「ギラン・バレー症候群」ではなく、別な神経系の麻痺であることがわかります。

この「別な麻痺の症状」は根治が不可能で、その原因はおそらく、

一般人だったら即死するほどのストレスに、常にさらされ続けていることの影響

だそうです (゚◇゚;)


即死するほどのストレス」って、どのぐらいのストレスなんでしょうか?(;^_^A

きっと、軍隊に攻撃されたり、運転する車にロケット弾を打ち込まれるような、確実に死んでも不思議はないほどの緊張感なのでしょう。

そして、彼がかかった漢方医は「むしろ、この程度の症状で済んでいることの方が異常だ」と述べています (;^_^A


生きるか死ぬかの世界を潜り抜け、高額な報酬を請け負って狙撃の仕事をする。

想像を絶するストレスに耐え、生き延びる。

ゴルゴ13、やはり恐ろしい男です・・・。


(全部漫画ですからね ! (^-^))


ゴルゴ13の極秘健康診断

さて、ストーリーの中で、ゴルゴ13は、年に一度健康診断を受けています。

もちろん、普通の病院の無防備な状況で受けるのではありません。

彼自分が選んだ優秀な医師たちを、ヨットの上に呼んで、そこで診断をしてもらうのです。

診断結果なども他言しないことも含めて、医師たちには高額な報酬が支払われているのでしょう。


世間から隔離されたヨットの上で、彼は身を守りながら、医師たちに精密な診断をさせるのです。

まさに、一部の隙も見せない、彼の極秘健康診断です。

それだけ真剣に、彼は自分の身体を管理しているのです。


(架空の世界ですよ! (^-^))


(ゴルゴ13の身体的弱点、健康診断については「ピクシブ百科事典・ゴルゴ13」より抜粋・引用 調整しています)

 

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pixabay

 

仕事ができる人は、何に気をつけているのか?

高額の報酬で仕事を請け負い、仕事達成率がほぼ100%のゴルゴ13。

彼は自分なりの信条を持ち、厳しい自己管理をしています。

これはあくまでも漫画の世界ですが (^-^)


現実の世界でも、

出世している人、仕事ができる人、結果を出す人には、いくつかの共通点がある

こういう話は、よく聞くでしょう。


仕事ができる人は、どういう性質、どういう習慣を持っているのでしょうか。

まあ、おおよそ当たり前のことを確認しようっていう話だろ?

そんな、誰にも当てはまるようなことを言われても、仕事ができる人の特徴とは言い切れないよ

そう思う人もいるかもしれません。


では、もし成功したいと思う場合、あなたはいつもその当たり前の状態でいることがでしょうか。

当たり前のことが、常にできているでしょうか。

おそらく「いつもできてるよ!」ときっぱり答えられる人は、少ないように思います

もちろん僕も、きっぱりとなんか答えられません。


普段の気持ちや習慣によって、考え方や行動は変わってきます。

行動が変われば、結果も変わってくるでしょう。

とかく大事なことというのは、高度なテクニックや専門的な知識以前に、もっと身近なところにあるような気がします。

 

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pixabay

そうした目で、もう一度「仕事ができる人の共通点」を見てみましょう。

自分とできる人の違いは、いったい何なのか。

視点を「誰もが実践できるような心構え」などに絞って、列挙してみます。

  • とにかく素直である
  • 誰に対しても同じ態度で接する
  • 誰に対しても謙虚である
  • 感謝の気持ちを忘れない
  • 自慢話をしない
  • ネガティブな言葉を出さない
  • 周囲への気配りがある
  • 失敗しても、それを隠さない
  • 相手の目線・立場で考える
  • 分かりやすく説明しようとする
  • まず行動に移す
  • 必ず時間を守る
  • 地道な作業であっても、楽しんでやる
  • 本をよく読む
  • 体調管理に気を配る


僕の周りの「仕事ができる人、成功している人」を見回してみても、これはほぼ当たっていると思います。

もちろん、人それぞれ個性は違いますが、確かに彼らは、共通して上記に近い特徴・姿勢を持っていると思います。

ここで取り上げたいのは、特に最後の項目「体調管理に気を配る」です。

仕事ができる人は、「意識的に」健康に注意しているようです。


高年収な人ほど健康に気を配っている

もう数年前のデータですが、全国のオフィスで働く人1,200人(肉体労働者ではない会社員)を対象に行なった調査では、全体の57%が「今後、運動量を増やしたい」と回答したそうです。

運動量を増やしたい理由としては、「健康維持」のほかに「日常生活のモチベーションが上がるから」などが多かったようです。

つまり、運動を「生活意識を改善するための手段」としてとらえている人が、多かったようです。

健康や運動についての年収との関係は、数値の上では、例えば以下の通りです。


【運動は重要だと思う人】

  • 世帯年収が1,500万円以上の層は、「運動は重要だと思う」が65%。
  • 世帯年収が300万円未満の層は、「運動は重要だと思う」が48%。

 

【ビジネスシーンで少しでも運動を意識している人】
※例えば社内や通勤時で、エスカレーターではなく階段を使うなどの配慮とします。

  • 世帯年収が1,500万円以上の層は、「意識している人」が31%。
  • 世帯年収が300万円未満の層は、「意識している人」が18%。


【運動習慣がある人】

  • 年収1,500万円以上で運動習慣がある人は、約40%。
  • 年収400万円で運動習慣がある人は、約27%。


(高年収な人ほど「運動は重要と思っている」「ビジネスシーンで少しでも運動を意識している」の調査結果は「exciteニュース」より抜粋・引用 調整しています)

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 pixabay

さらに、これも少し古いデータですが、健康や生活と年収についての厚生労働省の調査結果の概要です。
※これらも同様に「割合の問題」ですから、全てを語っているわけではないはずです。


【喫煙率】
男女とも、年収が上がるにつれて喫煙率は下がる。

【肥満率】
男性の肥満率は貧富に関係ない。女性の肥満率は収入が少なくなるほど高い。

【朝食】
収入が高いほど朝食を食べる。

【運動習慣】
収入が高くなるほど運動習慣がある。
※フィットネスクラブなど、お金のかかる運動を指して「だから費用を出せる層がよく運動をするのだ」と言いたいのではありません。例えば、ジョギングやラジオ体操などは、いつ誰がやってもお金はかかりません。

【飲酒】
収入が高いほど酒を飲む。
これはどう解釈すればいいでしょうね (^-^)

【睡眠の質】
特に女性は、収入が高くなるほど睡眠の質が良い。

【野菜の消費率】
収入が高くなるほど野菜の摂取量が多い。
これは、完全な相関関係にあるようです。


(厚生労働省の調査結果は「A-Style Life Hack Clubサイト」より抜粋・引用 調整しています)

 

「健康や運動についての年収との関係」は、割合としての数値ですので、年収が高くなくても運動習慣がある人はいるでしょうし、年収が高くても何も運動しない人もいるでしょう。

しかし、割合というのは、「そう考える傾向がある」といってもいいものでしょう。


果たして、健康に気をつけているから、生活も仕事もパフォーマンスが上がって年収が高くなったのか、あるいは、年収が高いから健康に気をつける余裕があるのか、それは定かではありません。

鶏が先か、卵が先か、ということでしょうか。

いずれの場合でも、健康に対する意識が強いということなのです。

 

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pixabay


なお、時間的な問題を考えると、「忙しくて、運動する余裕などないよ!」と言う人もいることでしょう。

しかし、忙しいときでも、物事の優先順位をつけて、健康増進に時間を割けるかどうかは、その人の「マネージメント力」にかかっているのかもしれません。


僕もよく、「忙しいから無理だ」とつい思ってしまいます。

しかし、もしここに急ぎの仕事が来たとしたら、他の仕事を押しのけてでも、最優先でその仕事をするでしょう。

そうしなければならないですよね?

もし、今しか行けないという、どうしても行きたい旅行先があれば、その前後に仕事を詰め込んだとしても、何とか時間を作っていくことでしょう。


結局のところ、時間を作れるかどうかは、物事の優先度のつけ方で変わってくるのではないでしょうか。


※例えば、自宅介護などでそれでも時間が割けない場合もあります。携わっていらっしゃる方、本当にお疲れ様です。この優先度とは、そうした場合以外という前提です。


ゴルゴ13ほどではないですが (^-^)、健康を失ったら、生活も仕事も困難になるでしょう。

心身ともにスッキリした状態でなければ、いいアイデアも浮かばないし、作業効率も落ちてしまいますよね。

やはり、自己管理の一環として、健康増進とビジネスの成功とは、密接な関係があるはずです。

他の習慣と同じように、何としても健康増進の習慣をつけたいですね!

 

ではまた次回!

 

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叩き潰される自由の象徴|イージー・ライダーの終着点

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 photoAC


1960年代。

メキシコからロサンゼルスへのドラッグの密輸で、大金を稼いだ2人のアメリカ人の青年ワイアットとビリー。

彼らは、バイク(ハーレーダビッドソン)のガソリンタンクの中に仕込んだチューブに、巻きタバコのようにその大金を丸めて詰める。

盗まれないようにするためだ。

そして、腕時計に一瞥をくれたあと、それをはずして地面に投げ捨てる。


ついに大金を稼いだ!


金からも時間からも自由になった彼らは、荒野を出発してバイクの旅に出る。

長髪にヒゲ、サングラス、背中に大きな星条旗を描いたレザージャケットを着て、ヒッピーのような首飾りをして、まさに奔放な「なり」で自由気ままな旅をする。

自由そのもの」のような彼らの姿。

しかし、彼らの行く先には、恐ろしい現実が待ち受けていた。

 

 
 
 
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アメリカの2人の若者が、自由奔放にバイクで旅をする。

これは、1969年に公開された映画「イージー・ライダー」の世界です。


イージー・ライダー(Easy Rider)という言葉は、アメリカの俗語で、

気ままなにオートバイを走らせる人

(仕事をせずに)のんびり生きている人

などの意味があるようです。

この映画では、両方の意味で使われているのでしょう。


ところで、今は死語になっているであろう「ヒッピー」とは、いったい何でしょうか

ヒッピー(Hippie)とは、1960年代後半にアメリカに出現した、それまでの西欧の保守的な考えや価値観を否定して、反体制的な考えをもつ人々や運動のことです。

ベルボトムのジーンズをはいたり、民族衣装のようなものに身をつつみ、時には服すら着ない。

哲学や精神世界の探求を好み、反戦運動、自然回帰、反骨的なロック音楽などへ傾倒する。

そういった趣向の人々です。


都会から離れて、農作物を育てたり、自給自足に近い状態で共同体生活をしていた人も多かったようです。

 

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実は僕は、もう30年以上も前のことですが、日本人の映像作家であるIさん(女性)の作品制作のお手伝いをさせていただいたことがあります。

このIさんが「イージー・ライダー」の撮影時にアメリカにいて、なんと「イージー・ライダー」の撮影を最初から最後までずっと見ていたそうなんです!

(撮影隊について行った、ということだったかもしれません)


どうして、Iさんがそうしたかなどの経緯は覚えていませんが、ご自身の映像制作のための見学だったのかもしれません。

Iさんの話では、当時のアメリカにはやはりヒッピーがいて、彼らは、大工仕事などをしながら生計を立てていたそうです。

Iさんはまさに、「イージー・ライダー」と当時のアメリカ文化にどっぷり触れられていたのだと思います。


(以下、「イージー・ライダー」の完全なネタバレがありますので、映画をご覧になりたい方は先に観てください。でもそのあと、ブログに戻ってきてくださいね!)

(また、記事中に少々暴力に関する描写が登場しますので、気に触る方はご遠慮ください)


さて、ワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)は、ロサンゼルスから南部の都市ニューオーリンズまで、「謝肉祭」を見るためにバイクの旅をします。

 

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pixabay


Google Mapで見ると、ロサンゼルスからニューオーリンズまでは、1,894マイル(3,048Km)あります。

日本の北海道から沖縄までがざっくり3,000kmですから、それに匹敵する距離ですね。

車で28時間かかるようです。

3,048Kmを28時間で移動するということは、平均時速108kmで走るということでしょうか。

バイクではどれほどスピードを出せるのかわかりませんが、例えば車で4日程度のところ、バイクでは1週間といったところなのでしょうか?

(経験のある方がいたら、是非教えてください。こちらからどうぞ!)

 

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謝肉祭を見てうまいものを食べ、夜の街を楽しもう!

2人には、それ以外に目的もなければ、目指すところもありません。

守るべき時間は、「謝肉祭の期間に間に合うようにする」ただそれだけです。

でもそんな予定など、彼らの気分次第でどうにでも変更できるものです。


つまり、彼らを縛るものは何もないのです。


荒野で野宿を続け、のんびりと旅をして、2人は文字通り「自由」を謳歌します。

しかし、行く先々で、彼らはアメリカの様々な現実に遭遇するのです。


夜になってモーテルに泊まろうとすると、長髪で派手なスタイルの彼らの姿を見るや、「空室」のサインを「満室」に変えられてしまい、泊まれない。

街を練り歩く鼓笛隊のパレードにバイクでついて行くと、警察に補導され、留置場に入れられてしまう。

様々な土地の保守的な人々は、彼らを歓迎しないのです。

そして、ついに最悪なことが起こります。


途中で出会った若い弁護士・ハンセン(ジャック・ニコルソン)と、彼らはあるレストランに入ります。


そこには、地元の保安官や中年の男たちがいて、彼らに聞こえるように、露骨な皮肉や罵声を浴びせてきます。

ただ食事をしたいだけなのに、ウエイトレスは彼らを無視して一向に注文を取りに来ず、それどころか、店全体が彼らを異物として「片付けよう」とする不穏な空気が流れてきます。

彼らは、危険を感じて店を出ます。


その夜、彼らは焚き火を囲んで野宿します。

弁護士・ハンセンは、ビリーに語ります。


彼らが怖がっているのは、君が象徴しているものさ。

彼らは君に、「自由」を見るんだ。

もちろん、「自由」は悪くなどない。

だが、自由を説くことと、自由であることとは別だ。

金で動く者は、自由になれない。

アメリカ人は、自由を証明するためなら、平気で人を殺す。

そして、個人の自由についてはいくらでもしゃべるが、「自由なやつ」を見るのは怖いんだ。


「自由なやつ」

それは、ワイアットとビリー、そして今彼らと一緒にいるハンセン自身のことです。

彼らは、保守的な人たちにとって不穏分子なのです。

 

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やがて、暗闇の中。

野宿している彼らが寝静まるころ、先ほどのレストランの男たちと思われる集団がやってきて、寝袋で寝ている彼らをいきなり棒やパイプで殴りつけます。

何度も何度も、思い切りこん棒を打ち下ろします。

抵抗する間もなく襲われる彼ら。

ハンセンは、ついに眠りから目覚めることなく、頭から血を流して死亡してしまいます。

男たちは、足早にいなくなりました。


ワイアットとビリーは、傷を負いながらも生き延びます。

そして、ハンセンの家族に、いつか遺品を届けてやることを誓います。


彼らはついに、彼らを敵視する者たちに「片付けられ」てしまったのです。

 

旅を続ける2人。

やがて、ニューオーリンズに到着し、「謝肉祭」を見物したり、女性と過ごしたり、ドラッグに浸ったり、やりたい放題の時間を過ごします。


「謝肉祭」を見た夜。

ビリーはワイアットに、金も自由も手に入れたし、フロリダで引退しよう、と言います。

しかし、ワイアットはぼんやりと焚き火を見たままです。


ムダだよ(We blew it.)
ポツリとそう呟きます。


どういうことだ?
ビリーが怪訝な表情をします。

ワイアットはただ
ダメだよ(We blew it.※)
と呟いて、寝てしまいます。
(※We blew it.は「台無しだよ」という意味が含まれるようです)


求めていたはずの自由。

しかし、今、自分たちの生きる意味もチャンスも見出せなくなった。

どこに行っても結局は受け入れられない、行き場所のない2人。

自由を求めて旅したはずが、そんなものはどこにもなかった

そう言いたげです。


やがて、ワイアットの言葉が意味するであろう、最後の瞬間がやって来ます。 

 

 
 
 
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バイクで、森林地帯の道を走る2人。

後から、近くの農場の連中と思われるトラックが追いついて、ビリーに銃をむけ「ぶち抜こうか?」と脅します。

ビリーが中指を立てると、トラックの男は「その髪を切れ!」と叫びながら、いきなり発砲します。

バイクごと転倒するビリー。


ワイアットが戻ると、血だらけになったビリーが、転がってうめいています。

近くには町もなく、人もいません。


待ってろ!


ワイアットは、急いでバイクにまたがり、助けを求めて走り出します。

その時、さっきのトラックが戻ってきて、ワイアットに狙いをつけ、引き金を引きます。

ワイアットのバイクは打ち抜かれ、火を噴いて飛んでいきます。

激しく燃え盛るワイアットのバイク

こうして2人の旅は、衝撃的な終りを迎えるのです。


自由の国と言われるアメリカでさえ(いや、実は自由ではないのか?)、新しいスタイルや旧体制を拒む者は、

保守派に脅威を与えるようになると、押さえこまれて、最後には抹殺されてしまう危険があるのかもしれません。


しかし、日本の場合など、アメリカの比ではないのではないでしょうか。

出る杭は打たれる」と言われるとおりです。


いや、むしろ、自分が「杭」にならないように、自ら周囲に同調することもあります。

日本の方がはるかに、新しい「異物」に対して強い圧力がかかるのではないでしょうか。

 

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pixabay


俗世間からかけ離れたような、当時のヒッピー文化は、様々な批判があったにせよ、それまで日の目を見なかった「別な価値観」として、世界で共感を生んだようです。


1960年後半から1970年代。


当時の音楽や映画は、いまだにパワフルで、常識にとらわれた心を打ち砕く力を持っていると思います。

「イージー・ライダー」を含めて、当時の「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる映画は、反体制的な人間の心情を綴った物が多いです。

ラストはたいてい、衝撃的で悲劇的な場合が多いのですが、今の映画では見られない、その時代を鋭く切り取った傑作が、たくさんあります。

たまには心を刺激してみたい方、日常に潜んだ問題を覗いてみたい方は、是非ご覧ください!

 

ではまた次回!

 


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自分の前進をはばむもう一人の自分|ドッペルゲンガーとは何か?

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pixabay

 
向こうから、見ず知らずの人が、あなたに向かって歩いて来ます。

会ったこともない人です。

その人は、遠慮がちに近づいてきて、おそるおそるあなたに尋ねました。 


「○○さんですよね?」


あなたが、「違います」そう答えると、その人は不思議そうな顔をしてじっとあなたを見ています。

どうやらあなたは、誰かと人違いをされたようです。

そして、その誰かは、あなたに瓜二つの人のようです。

 

 

この世には、自分にそっくりな人が、少なくとも3人はいると言われています。

他人の空似(そらに)」というものですね。


外見の多様性を研究している、米コーネル大学のマイケル・シーハン氏によると、多くの人の中で似た顔が出現するのは、意外にも

「遺伝子の多様性が限られている」

という理由からだそうです。

 

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pixabay

 
一卵性双生児がまさにいい例ですが、家族や親戚同士は遺伝子の関係で、顔が似ているケースが多いです。

同様に、同じ民族同士や血統が近い間柄には、自分に似た容姿の人がいる確率は高まると言われています。


また、「人口」も瓜二つの出現に影響するようです。

人口が十分に多くなれば、自分とほとんど同じ容姿をした全くの他人に会うことになるでしょう

シーハン氏はそう語ります。


現在、地球の人口は約75億人。

そのうち特に人口の多い国は、中国(約13億人)とインド(約13億人)です。

この2国で、なんと、地球の人口の3分の1に達しています。


ですから、この2国の中では、自分とそっくりな他人がいる確率が、他の国よりも高いのかもしれません。


果たして世界中で、あなたにそっくりな人は何人いるのでしょうか

また、偶然にもめぐり会うことはあるのでしょうか?

 
(シーハン氏の話は、エキサイトニュースより抜粋・引用)

 


自分と瓜二つの赤の他人がいる。


これとは別に、人の心の奥深さを見るような少し気味の悪い現象が、昔から報告されています。

自分とそっくりの姿をした

「自分の生き写し」

を目撃する現象です。

 


これは、「ドッペルゲンガー」と呼ばれています。

 


「ドッペルゲンガー」はドイツ語で、「ドッペル(Doppel)」は英語の「ダブル(double)」に相当するようです。

「ドッペルゲンガー」をそのままを訳すと

「二重の歩く者」
「二重身(にじゅうしん)」

などの意味になるようです。

 

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pixabay


「ドッペルゲンガー」は
いくつかのパターンが報告されています。

 

その1.
自分自身の姿を自分で見る
(幻覚の一種といわれる)

その2.
第2の自我、あるいは
生霊(いきりょう)と呼ばれる

その3.
同人物が同時に別の場所に
姿を現す
(2人以上の場合もある)

 

「ドッペルゲンガー」は、前述の「他人の空似」とは違うようです。

自分のコピー、分身、あるいは多重人格に近い現象でしょうか?

 

古くから、伝説や迷信などにも登場し

肉体から魂が分離したもの、などとも言われ、しばしば超常現象として扱われてきたようです。

「ドッペルゲンガー」を見た者は死ぬ、という伝説もあるようです。

 
(ドッペルゲンガーの説はウィキペディア(Wikipedia)より抜粋・引用)

 


謎めいていて、怪奇小説の格好の題材のようですが、これまでに、「ドッペルゲンガー」についての著名な人たちの証言もあります。

 

著名な人たちの例としては、

ドイツの作家・ゲーテ
イギリスのエリザベス一世
アメリカの元大統領・リンカーン
フランスの作家・モーパッサン
日本の作家・芥川龍之介
など、多数です。

 

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ゲーテの場合です。

ある道をゲーテが馬で通るとき、向こうから馬でこちらに向かってくる男を見たそうです。

その男、服装は違ってもなんと

自分自身

だったそうです。

自分自身を見たとき、ゲーテは何故か、とても心穏やかになったそうです。

そして、そのことは忘れてしまいました。


そして8年後、再びその道を、今度は以前と逆方向に馬を進めているとき

ふと、自分自身が、

8年前に見た別の自分の服装をしている

ということに気づいたそうです。


芥川龍之介は、自分の「ドッペルゲンガー」が一度は帝劇(帝国劇場)に、一度は銀座に現れたと述べていました。
(帝国劇場と銀座はすぐ近くですね)

人違いや目の錯覚ではないか、との問いに、

「そう思えれば簡単なのだが
そうとは言い切れないのです」

と言ったそうです。


(自らのドッペルゲンガーを見たという偉人の話は、カラパイヤから抜粋・引用)

 

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「ドッペルゲンガー」
いるはずのないもう一人の自分。

 

自分で自分の生き写しを見るという意味では、

これは心の中の現象で、自分の幻影

自分の中の別人格

あるいは、自分の中の無意識のメッセージ

そういったものが、自分の目に映し出される現象なのでしょうか。

 

人の心の不可解な深遠を感じるからこそ、「ドッペルゲンガー」をあまりいい印象でとらえない場合が多いのかもしれませんね。

 

 「ドッペルゲンガー」でなくても、自分の中に複数の心が存在すると感じることはないでしょうか。

人が何か行なおうとするとき、もう一人の自分が登場してそれを、はばもうとすることがあります。

例えば、エネルギッシュに目標に向かって進もうとする自分と、それを反対の力で引きとめようとするもう一人の自分です。


ソウルパンケーキというメディア会社が、11,000人を対象に以下のような質問を投げかけました。

 
「こうあるべきだと思う自分と、現実の自分を隔てているものは、いったい何か?」

 
果たして、どんな回答が集まったのでしょうか。

 

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人の願望や成功目標などは、実に様々で、それを成し遂げる道は何通りもあることでしょう。

ですから、この質問への回答は、実に多岐にわたることでしょう。


なりたい自分と現実の自分を隔てているもの
それは、


気力が続かないことか
優柔不断なことか
時間がないことか
お金がないことか
仕事が忙しいからか
助けが得られないからなのか
・・・

 

どのくらいの種類の答えが返ってきたのでしょう。

実は、一番多かった答えは、ただ一つだったのです。

 

 

それは「恐怖」でした。

 


 

恐怖とは何か。

こんな事は不可能だ
きっと失敗するに違いない
誰も理解してくれるはずがない
こんな事はバカげている
リスクを背負うくらいなら、
やはりやめておこう。


これらの気持ちが「恐怖」です。

 

 自分の中に沸き起こる、いわば、もうひとつの人格です。

この人格は、前に進もうとする自分を妨げ、足を引っ張り、元の場所に戻そうとします。

こうして人は、「恐怖」に負けて、新たな道から退散していくのです。

 
(なりたい自分の質問の話は、エキサイトニュースより抜粋・引用)

 

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当然のことですが、この「恐怖」というものは、他の誰でもない自分が作り出しているものです。

 
「ドッペルゲンガー」のように、正体不明なものではありません。

人は、何かを達成しようとする時「恐怖」を感じる

そういう調査結果だったのです。



さて、あなたはどうしますか?

 


アイルランド出身の劇作家
オスカー・ワイルドの言葉です。


「人生は複雑じゃない。

私たちの方が複雑なのだ。
人生はシンプルで、
シンプルなことが正しいことなんだ」

 


では次回また!

 

 

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