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ブアメードの血|心と体はどこまでつながっているのか

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明日のプレゼンテーションが不安です。

 

頭の中で何度も練習したけど、みんなの前で間違えずに話せるだろうか。

緊張のあまり、頭が真っ白にならないだろうか?

考えれば考えるほど不安になってきて、何だかお腹がシクシク痛くなってきました

 

レポートの締め切りに追われて、気が気ではありません。

金曜までに間に合うだろうか。

無事提出できるだろうか。

なんだか、頭全体が締め付けられるように痛みます
風邪でもないのに、ズキズキ痛むんです。

 

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でも・・・



大好きな人に会えるので、疲労困憊していた体に元気がみなぎりました!

腹痛も頭痛も、どこかへ行ってしまった

ああ、明日が待ち遠しい!


こうした経験は、誰にでもありますよね。

嫌なことやストレスがあると体調が悪くなり、嬉しいことがあると元気になり、エネルギーが満ちてくる。


つまり、「気持ち」が「体」に強く影響しているのですね。


シビアな場面では、闘病している人の気持ちがダウンしたらバイタリティが落ちていく、ということもあると思います。

いったい、人の心と体はどこまでつながっているのでしょうか

 

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自動的に動いてくれる私たちの体

私たちの心臓や呼吸は、健康であれば「自動的」に動いています。

 

汗をかく、まばたきをする、血を巡らせる、食物を消化する。
これらの動作も同様です。

こうした機能は、意思とは無関係に動いていて、逆に自由に止めたり始めたりすることはできません。


「心臓よ止まれ!」と言っても止まりません。

「消化を開始しろ!」と叫んでも無理ですね。


自分の意思とは無関係な動きを管理・制御しているのが、「自律神経」と呼ばれる神経です。

自律神経のおかげで、私たちは生死にかかわる動作をいちいち気にせずに、いられるのです。


しかし、体の活動が「気持ちの変化」に左右されることもあります。

 

ブアメードの血

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pixabay

 

心と体の関係について、よくたとえに出される話があります。


※この後、少しショッキングな内容が含まれますので、気分のすぐれない方はご注意ください。


1883年に行われたある実験の話です。

オランダに、ブアメードという政治犯(死刑囚)がいました。

彼は、医師から「医学の進歩のために危険な実験に協力して欲しい」と頼まれました。


医師は彼にこう説明しました。

「人間の血液の量は、体重の10%だと言われているが、私たちはそれ以上の量があると考えている。その考えを証明したいのだ」


ブアメードは、医学のために実験を受けることを了承しました。

 

間もなく実験は開始され、彼は目隠しをされてベットに横たえられ、縛り付けられました。

「では、これから実験を始めます」

 

医師たちは、血液を抜くためにブアメードの足の指にメスを入れ、用意した容器に血をポタポタと垂らし始めました。

 

実験室に、滴り落ちる音が響きます。

 

1時間ごとに、累計出血量がブアメードに告げられました。

やがて、実験開始後、5時間が経過しました。

出血量が体重の10%を越えた」医師たちは言いました。

 

その時、ブアメードは既に死亡していました。



しかし、彼は失血によって死亡したのではありませんでした。 

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彼の足の指はメスで切られておらず、出血などしていなかったのです。

足元の容器には、医師団が仕掛けた「水」がポタポタと垂れていただけでした。

実験室に響いていたのは、ただの水の音だったのです。


しかし、ブアメードは、メスで自分の足を切られ、徐々に体から血液が失われたと思い、やがて死んでしまいました


実は、医師団は「心が体にどれだけ影響するのか」の心理実験をしていたのでした。

 

これはいわゆる、「暗示」や「思い込み」の効果です。

思い込みの力で、一人の人間が命を落としてしまった。

本当にそんなことがありえるのでしょうか?


そもそも、死刑囚とはいえ、医師団の実験はあまりにも非人道的だ、と思うかもしれません。

この話には諸説あり、実際には全てが真実かどうかは、定かではありません。

しかし、「心が体に与える影響」を説明するときによく引用されています。


ブアメードは、出血していないのに、自分の血がなくなったと思って死んでしまった。

普通に考えれば、信じがたいことです。

 

しかし・・・ひょっとしら、あり得るかもしれないと、どこかで感じるでしょうか?

感じるとしたら、それは私たち自身が「体は気持ちに左右される」ということを、よく知っているからではないでしょうか。

 

 

故障した冷凍車

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もう一つ、同じような話があります。

 

ソビエト連邦が複数の国家に分裂する前の時代。

シベリア鉄道の冷凍車の修理のため、ある機械工が冷凍車の中で作業していました。

 

ふと何かの拍子に、誤って冷凍車の扉が閉まってしまいました。

その扉は、外からしか開けることができないため、機械工は必死に扉を叩いて助けを求めました。

しかし、夜遅くだったため、ほとんどの労働者は帰ってしまっていました。

 

彼はついに、冷凍車の中で一夜を過ごすことを覚悟しました。


翌日になって、労働者たちが仕事に来て冷凍車の扉を開けると、床でその同僚が死んでいました。

壁には、彼が時間を追って書いたと思われるメモがありました。

 

「だんだん寒くなってきた」

「自分はここで死にそうだ」

「これが最後の言葉だ」

 

おそらく、彼の死に至る記録です。



しかし、労働者たちは困惑しました



なぜなら、冷凍車は修理中で、冷凍ユニットがまだ動いていません。

だから、冷凍車内は10度以下になることはなく、「冷凍」にはほど遠い温度でした。

 

つまり彼は、凍死ではなく「自らの思い込みによって死に至った」としか考えられなかったのです。


この話も、「思い込み」は、時には人の命をも左右するというエピソードで、多くの書籍で引用されているようです。

 

 

経験が行動を決める

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動物には、「学習性行動」という性質があるようです。


「学習性行動」とは、もともと備わった「本能」とは別に、経験や学習によって行動が決められる、という性質です。


ベルの音と餌を関連付けて覚えた、有名な「パブロフの犬」が代表例です。

ベルが鳴るとエサがもらえる。

その行動を繰り返していったら、やがてベルの音を聞いただけで犬が唾液を出すようになった。

これは、「条件反射」と呼ばれる行動です。


パブロフの犬の場合は、ごく原始的な反応に近いものかも知れませんが、前述の2つのエピソード

「ブアメードの血」

「冷凍車の機械工」

これらはもう少し論理的です。


人間の「経験」や「常識」というもの

それらが、「思い込み」や「暗示」となって結果を連想させ、たとえ話ですが、自らの命をも失った話ということになります。

 

これらの悲惨な例とは別に、「思い込み」がプラスに働くと病気さえ治る、という事例があります。

 

プラシーボ効果

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「暗示」で病気が治る。

いわゆる「プラシーボ(プラセボ))効果」です。

 

偽の薬を投与しているのに、本当に症状が回復したり緩和したりする現象、これを「プラシーボ効果」と呼びます。

これには、「脳が」強く関係しているようです。

 

「プラシーボ」とは、元はラテン語で「喜ばせる」という意味だそうで、中世のフランスでも「治療が困難な病気にかかった患者を喜ばせて、苦しみを和らげること」とされていたようです。


この効果には、欲求が満たされたとき、または満たされる「期待」が持てるときには、「報酬中枢」という神経が働いて体が活性化し、快楽が発生するそうです。

そして、「快楽」や「期待」によって免疫力が高まるのです。

 


冒頭のエピソードでいうと、「好きな人に会える」という喜びが、それまでの体の不調を治します。

いや、治すどころか、さらに元気にしてパワーアップさせたのです。

顔まで笑ってしまい、もう仕事の憂鬱などどこかへ飛んで行ってしまいます(笑)。


これは、「本人の思い」によってもたらされるプラシーボ効果、と言ってもいいかもしれません。


心と体は、ここまで密接につながっているのです。

 

そして最後に紹介するのは、

「人を制限する力」

「人を解放する力」

です。

 

限界を突破する心の力

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かつて、フィンランドに、パーヴォ・ヌルミという優れた陸上競技の選手がいました。

彼は、1923年に1マイル(1.6km)を4分10秒という驚くべき速さで走り、世界新記録を樹立しました。

 

当時のマスコミは、この記録を「人間の限界」と書き立てました。

その言葉通り、その後いつまでもこの記録は破られませんでした。

 

しかし、その記録から「31年後」の1954年。

イギリス人のロジャー・バニスターという選手が、見事その記録を塗り替えました。

1マイルを、4分ジャストという快記録で走ったのです!



問題はその後です。



その同じ年に、なんと23人ものランナーが、今度はバニスターの記録を破って次々と記録を更新していったのです。

そして、その後11年間にわたり、実に100人のランナーによって「260回も」記録が更新され続けたのです。



これは、どういうことでしょうか?



31年もの間、ランナーたちはどうしても「人間の限界」が破れなかった。

しかし、あるとき壁を破った者が一人出現したとたんに、他のランナーたちも次々と記録を破るようになった


これは、「存在問題」と呼ばれる現象のようです。

ある「限界」を突破した者が一人出ると、その後は多くの者が、次々とそれまでの「限界」を突破してしまう。


最初に限界を超えた者が「それはできる」と証明したのです。

その結果、人々の頭の中から「できるわけがない」という思い込み・制止が消えていったのです。



人間には本来、どうしても、常識や観念に縛られて前に進む力を奪われる性質があるのかもしれません。

「存在問題」とは、それを破るきっかけなのでしょう。

 

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自分の「常識」から解放される

 

「存在問題」は、、日常のあらゆる場面に存在しますよね。


目標に向かって何かを始めるとき、前に進もうとしているとき。


「これ以上は無理だ」

「ここまでが限界だな」

「これ以上やった人などいないだろう(だからこれ以上は不可能だ)」


私たちは、そういう会話をしょっちゅう「自分自身と」しています(笑)。

しかし、誰かが「壁」を突破すると

「壁」であったものが、通行可能な「道」に変わる。


「限界」とは、多くの場合、これまでの経験や常識によって、自分が作り出しているものなのでしょう。

 

こう考えられるでしょうか。

誰かが新たに開拓したことを、自分がやってみるのもよし。

あるいは、自分が「最初の一人」になるのもよし。


自分の「常識」や「思い込み」から解放されることは、自分にとってとてつもない変革になるかもしれませんね。

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ではまた次回!

 

 

(冷凍車の機械工の話は「忘却からの帰還」サイトから、「プラシーボ効果」の話は「フォルツァスタイル」サイトから、「存在問題」の話は「ニーズ創造研究所」サイトから それぞれ抜粋・引用・加工しています)

 

 

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