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長袖でもいいほどの涼しい朝と同窓会幹事の同調圧力

 

10月14日(土)

5:00起床。

ジョギングは休みと決めていたので、前夜は遅くまで作業をしていた。

今朝の夜明けは、13℃という涼しさ!

ジョギングでは、もはや長袖か薄パーカーを着る気温だ。

でも今朝はジョグは休み。


午前中は作業をして、午後は高校の同窓会に出席した。

この同窓会、コロナ禍で何度も延期されてようやく実現したものだった。


これまで、中学校の同窓会には何度も出たが、そのたびに一番印象深かったのは、みんな当時からあまり変わっていないということだった。

声も顔も性格も、変わっていない。

やはり人間、中学生にはもう大人の原型ができているのかな、と思っていた。


今日はどうだろう。

やっぱりみんな変わってない、と感じるだろうか、


多少の緊張感をもって会場に行くと、100人を超える同窓生が会場に来ていた。

会ってみると、なんとほとんどの人が誰だかわからない状態だった(笑)

 


もっとも、高校の時は、部活と同じクラスの人以外はほとんど接点はなく、おたがいに存在も知らないまま卒業した人も多かった。

だから、知らない人が多いのも当たり前か。


その後、同じ部活やクラスだった人と歓談し、これまでの様々な人生の経歴を聞き、まさにタイムスリップする体験だった。

昔の共通の話をしていると、その人によって見る角度が違うため、その話題の裏・表・上下左右が初めて見えてくる。

知っていたと思っていた事柄が、新たな事柄に変貌してくる感じだ。

逆に言えば、自分は物事のごく一面しか見ていなかったということだろう。


その後2次会、3次会と続き、いい時間になったのでそこで帰った。

数十年ぶりの同窓生と再会できて、とても貴重を過ごせた。

 


ところで、実はこの同窓会には、参加を決める前からある違和感を感じていた

僕の経験では、同窓会というのは再会した友人といつまでも話題が尽きず、時間が足りないぐらいだった。

だから、他に催し物などいっさいいらず、ただ歓談していたいものだった。


だが今回の同窓会は、告知の段階から、「同窓会の組織委員が誰それだ」とか、「同窓生が経営する芸能事務所の好意で無料でアナウンサーが来てくれる」とか、「こんなイベントがある」とか、とにかく仰々しい雰囲気だったのだ。

それに対する賞賛の声も、専用サイトで見うけられた。


たびたび開催するものだったらいろいろな出し物があってもよいと思うが、ウン十年ぶりに大勢が再会するこの同窓会で、イベント的なものが必要なのか。

開催時間は2時間と聞いていたので、これではゆっくり話す時間も無くなるのではないか、という危惧があった。

 

たいして気に掛けることはないのかもしれないが、何となく違和感を感じていた僕は、参加するかどうかずっと迷っていた

迷っている最中、運営メンバーからも連絡をもらったが、迷っている理由も率直に伝えた。

と言っても、「体制がしっくりこないから迷ってる」とひとこと言っただけ。


でもやはり、この機会を最後にもう一生会わない人もいるだろうと思い、僕は結局参加を決めたのだ。

 


すると、会場で歓談が続く中、僕は運営メンバーから「なぜ参加前にあんなことを言ったの?」と問われた。

「あんなこと」とは、僕がこの同窓会に疑問を抱いていたことだ。


「自分たちはこんなに苦労してやっているのに」と言われたのだ。


ちょっと驚いた。


どういう経緯であれ、僕は悩んだ末に結局参加を決めてここに来たのだ。

それを、なぜ面と向かって非難するのか?


人それぞれいろんな考えを持っている。

今回は欠席者も多かったが、どういう理由で欠席したのかはそれぞれ違うだろう。

そんな各人の思いに、まさか文句をつけるつもりなのか?


説明すればするほど、「自分たちの運営にケチをつけるなんて」と意固地になってくるので、もはや対話にならないと思って話をやめた。


そしてこのとき、最初から感じていた違和感の正体が分かった。

それは、一種の同調圧力のようなものだった。

みんなの動きに賛成しなさいよ、合わせなさいよ、という類のものだ。

これは、僕が最も敏感に反応してしまう類のものだ・・・

 

悪いけど、貴重な再会の時間を、この瞬間に運営メンバーに台無しにされたと感じてしまった。

 

 

もちろん、幹事という大変な仕事をやってくれたことに対して感謝しているし、彼らがいなければ実現できないことだった。

だから、相手から見れば、僕が理屈っぽい意固地なおっさんなのかもしれない。


だが、同窓会の会場でわざわざ文句をつけてきたのは向うなのだ。

よほど根に持っていたのだろう。

 

最初に感じた自分の勘は信じるべきだ、と改めて思った。

楽しい時間を送るかどうかは、自分で選べるのだ。


そう思いつつ、帰りの電車に乗った。

 

ではまた明日!