いまだに飲みに集まる旧友はいますか?
あなたは今、おいくつでしょうか。
10代、20代、
働き盛りの30代、40代、
さらに大人の(?)50代・60代以上でしょうか?
(僕は50代です、大人といえるかどうかわかりませんが(;^_^A)
そして、あなたには、
長年の間、いつも飲みに行くような、気のおけない仲間がいるでしょうか?
例えば、学生時代の気心知れた仲間と、いまだによく飲んでいる。
同期の仲間と、仕事が別々になっても必ず集う店がある、などです。
僕は、1~2年ごとに、たまに集まる中学・高校の同級生たちはいますが、そのぐらい古くからの仲間で「定期的に」飲みに行くパターンは、さすがに少ないです。
やはり、学生のころと住所が変わったり、仕事や生活がそれぞれ別々になると、だんだんと連絡が途絶えてしまいますよね。
年賀状の習慣もほとんどなくなってしまったので、メールやチャットでつながっていない人とは、住所・連絡先確認もできません。
そもそも、みんなおおよそ自分のことで精一杯ですから、旧友のことなどは後回しになりますよね。
そうして何年もたち、もう誰に聞いても、連絡先がわからなくなった人がいっぱいいます。
同窓会では、30年以上前にタイムスリップする
僕は50代ですから、たまに大勢のクラス会に参加すると、会うのが30年ぶり、へたすると40年ぶりという、人生のかなりの時間をタイム スリップしたような状態になることがあります。
まさに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」状態です。
でもこれ、とても不思議なんですが、
中学生のころからずっと会っていなかった人に会って、一番強く感じることは、
みんな当時と変わっていない
ということなんです。
ドラマでありそうな「○○君だったの?すっかり雰囲気変わって、わからなかったよ!」
こういうパターンが、僕にはほとんどないのです。
「あ、君全く変わらないね!」
「じゃあ、自分も変わってないのかな?」
このパターンが、圧倒的に多いのです。
「全くあのころのままじゃん!」と感じることさえあります。
(なぜか、髪形さえ当時と似ている人もいます (^-^))
人の容姿は中学生ぐらいで完成される?
そして、そのたびに思うのは、
人というものは、中学生ぐらいで容姿や雰囲気が完成してしまって、その後は大きく変わることがないのではないか?
ということです。
あくまでも個人的な感想なので、根拠はありませんが。
もちろん、30年近くの間に、それぞれに様々な出来事があり、仕事が変わったり家族を持ったり別れたり、その人自身、そして周りでは、めまぐるしい変化があったことでしょう。
とても一言では語れない、長い長い時間です。
そして、その長い経験が、額のしわに表れたり、白髪に表れたり、出っ張ったお腹に表れたりしているのではないかと感じます。
ですが、「基本的な容姿」は多くの場合変わっていないように思います。
時の隔たりを感じない会話
もう一つ、これは同級生同士の特徴なのかもしれませんが、
話始めるや「30年近い時間の隔たりが一気になくなる」ということです。
30年以上の時間が経っていれば、
積もる話もあるけど、いったいどこから話をしたらよいのか、
触れてはならない部分もあるかもしれないし、まずは時節の話からしてみようか・・・
そんな風に想像するかもしれませんが、
全く逆です。
「おお!○○君、変わってないね!2年のときの担任の○○先生に体育館で殴られたとき、痛かっただろ?」
「ムチャクチャ痛かったよ!だって、当時○○先生は体格もよくてパワーがあったから、殴られて本当に3メートルぐらい吹っ飛んだよ」
あ、これは今ではありえない風景ですね(;^_^A
大問題になっちゃいます。
当時は、まだ教師の体罰があったころでした。
それで、これが35年ぶりに会った最初の会話だったりします (^-^)
ろくなあいさつも前置きもなく、いきなり当時のあの日のことを話し始め、相手もすぐにそれに答える。
35年前と全く同じテンポで、同じ表情で。
このような調子なので、同窓会では、まるで時が経っていないような錯覚に陥ることがあるんです。
(自分の中で思い出が風化していないので、そういう意味では、確かに時は経っていないのかもしれませんが)
このように、僕にとっては、同窓会は大勢であっても少人数であっても、驚きと感動が多いです。
同窓会行かない症候群
ところで、昨今、特に50代の人たちの間で、「大勢でやる同窓会に行きたくない」と思っている人が増えているようです。
「同窓会行かない症候群」と言われているようです。
一体なぜなのでしょうか?
(以下「同窓会行かない症候群」の説については、日経ビジネスサイトより抜粋・引用 調整しています)
同窓会幹事代行サービスを手掛ける会社「笑屋」による調査では、日本では「同窓会の小規模化」が進行しているようです。
つまり、同窓会の人数規模が小さくなっている、ということですね。
気のおける少人数で集まるのは、楽しい。
でも、大勢で集まる同窓会には、行きたくない。
そう考える人が多いとの事です。
そのわけは、自分の「仕事」の状況を知られたくないのが一番多いそうです。
今の自分の仕事やポストを知られたくない
いつもの少数の仲間なら、お互いの仕事のこと、生活水準、家族のことなどわかっているので、今更気兼ねする必要もない。
見栄を張ることも、隠すこともない。
ありのままで接することができる、ということでしょう。
それが、大勢の同窓会の場合には、久しぶりに会う旧友も多く、最近の自分の仕事やポストを知らない人たちがいる。
こうした同窓会には参加したくない、という人が多いということです。
例えば、こういうことです。
ある52歳の会社員のAさんの例では、
「以前、同窓会に参加した時に、つい勤めている会社や当時の自分の役職の自慢をしてしまった。しかし、5年ほど前に、あまり知られていない別会社に出向になっしまった。だから、今は恥ずかしくて参加できない」
50代と言えば、それまでの会社生活の「結果」が見えてくる時だと言います。
仕事内容や部署、ポスト、生活水準などで、いやおうなく仲間と差が出てきてしまう。
そして、(自分の中で)恥ずかしくてとても現状を知られたくない。
そう思ってしまうことが多いのだそうです。
マイナビが2012年に調査したところ、同窓会に参加したくない人が増えている最も多い理由は、
「自分に自信がないから」
だったそうです。
幸福度が低い日本
何か、人生の中の価値観として、とても窮屈なものを感じますよね?
自分が仕事上で以前より役職が下、あるいは会社が小さくなってしまったとしたら、確かに負い目を感じることはあるでしょう。
自信も持てないかもしれないし、わざわざ声を大にして言いたくはないでしょう。
ですが、それが「人に会いたくない理由」となれば、付き合いの幅はどんどん狭くなっていく一方です。
国際連合が発表 した18年版「世界幸福度ランキング」では、日本はG7の中で最下位となり、ニカラグアやルーマニアなど、日本より経済的に貧しい国よりも下だったそうです。
また、幸福のメカニズムを研究する慶応義塾大学大学院の前野隆司教授は、
「1日1回以上、仕事でワクワク感を感じる日本人は、今や5%未満。世界でも圧倒的に低い水準です」
と述べているようです。
あなたはどうでしょう?
同窓会に行きづらいでしょうか?
以前と比べて自分は萎んでしまって、人に知られたくないと思うでしょうか?
僕は、肝心なのは、仕事でも何でも、自分がのめりこんで楽しんでいるかどうか、自分にエネルギーが満ちているかどうかが大事ではないか、と思います。
仮に、有名な大手企業の重要なポストにいても、その仕事が苦しくて、辞めたくて仕方がなけば、それは幸せとは言い切れないでしょう。
仮に、一人だけの個人事業主であってもアルバイトであっても、自分の携わっている仕事が楽しく、もっと続けていたいと思うものであれば、その人は自信に満ちて、周りから見ても輝いているのではないでしょうか。
これは、単なるきれいごとでしょうか?
あなたは、どう思いますか?
ではまた次回!
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