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席を詰めない乗客と人生の半分の時間

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5月30日(金)

ジョギングなし。

1日雨時々曇り。

珍しく肌寒い日だった。

 


今日は、夕方から会食なので、早めに作業を進めた。

午後、バスでターミナル駅に向かったのだが、そのバスは本数が少ない路線だった。

1時間に2本ぐらいしかない。

雨なので、屋根のあるベンチで待っていたら、ようやくバスが来た。

乗ってみると、もうあと何人も乗れないほど混んでいた

こりゃあ、油断していたな。

金曜日の夕方、雨でバスの本数が少ないとなれば、そりゃ混むか。


しかし、よくあるのだが、入り口付近で立ち止まって、奥まで詰めない人がいる。

まだまだ外で乗れずに待っている人がいるのに、無関心。

それでも、一部の人が少しずつ詰めてやっと乗れた。

立ち客も含めて満員状態。

 

途中のバス停から、まだまだ乗ってくる。

よく聞こえなかったが、運転手がバス停で待っている人に「次のバスをご利用ください」と言ったようだった。

本数が少ない乗り合いバスに乗れないなんて。

さらに30分近く雨の中を待つのか・・・


ふと、あるバス停で近くの席の人が降りた。

ところが、その前に立っている人が座らない

一人でも多く乗れるように、すし詰め状態を解消するために座るべきなのに、全く意に介さずに空席の前で仁王立ち。

空席をふさいでいるのだ。

これ、実によく見る光景だ。


立っているのは若者だったが、高齢者や体の不自由な人が来るといけないと思って座らないのだろうか?

でも、近くにそういう人はいないし、だいたい高齢者が来たらその時に譲ればいい。

とにかく、人が乗り切れないほどに混んでいるのだ。

しかし、彼は座らないと決めたかのように、立ちふさがっている。


単に立っていたいからなのかどうかは知らないが、邪魔である。


僕は、かきわけてその席に座った。

疲れていたからではなく、一人分でも詰めるためだ。

座ってからその若者を見ると、ただスマホをいじってうつむいているだけ。

 

しばらくすると、別な席でまた同じことが起きた。

座っていた人が降りたのに、真ん前の人が仁王立ちで座ろうとしない。

多くの人が降りるであろうバス停は、まだまだ先だ。

だから、そこまではぎゅうぎゅうの状態なのだ。


いったい何やってんの?

やがて近くにいたオジサンが、2人ばかりかきわけて座った。


人が乗り切れないっていうのに、状況がわからないのか、何も感じないのか、単に自分のペースしか考えられないのか・・・


こういう光景は、電車でもたまに見る。


周りが空いていれば、別に前に立っていた人が座らなくてもいいと思う。

立っていようが座ろうが、人の勝手だ。

だが、他の誰かが座りたいかもしれないじゃん。

誰かが座れるようにちょっとずれるとか、そういうことしないの?


ただガンとして立ったまま空席をふさいでいたりする。


日本人って、周りに合わせることが得意だし、言われたことは守るし、行儀はいいけど、本当の意味での公共性が無いよね、と見るたびに思う。

くれぐれも自分が気を付けようと、そのたびに思うのだった。

 


その後、知人と飲み屋で合流。


この人とは、先日40年以上ぶり!に再会したのだが、その時ゆっくり話せなかったので、今日改めて一緒に飲んだ。

あらゆることに話が及んで、気が付けば4時間半近く経っていた(笑)

人生のほぼ半分ぐらいの期間、会っていなかったのだ。

お互いに出来事が多過ぎて、一晩では語り切れない。


また会おうと言って別れた。

23:30ごろ帰宅。


ではまた明日!